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| 森を作る男たちの誇り |
岐阜県 加子母森林組合 三浦大二郎さん
水野知史さん |

組合が経営する物産所「モクモクセンター」店内 |
林業は江戸時代から営んできた地域の基盤
「加子母村は昨年2月に合併して中津川市になったんですよ」と、組合に向かう車中で話をしてくれたのは、加子母森林組合専務理事の内木(ないき)篤志さんだ。しかし組合名は「加子母」のまま。どういうことだろう。
「うちの組合に何もかも持っていかれると思ったんでしょうか。だれも全国制覇をするつもりなんてないのになあ」と、最後はつぶやき声で教えてくれた。村は吸収合併されたが、森林組合は加子母の規模が大きかったため残ったという形だ。
名古屋から北上すると飛騨高山の手前、長野との県境に近い岐阜県の東端にあるこの加子母地域は、実に95%が森林である。昔から林業を地場産業としており、歴史は尾張徳川直轄林だった江戸時代にまでさかのぼることができる。
「何十年も前に植えた苗木が今この時代に商品になるんです」。
だからこそ林業は継続が命だ。過去わずかな期間でも放置された時期があれば、元気な木、つまり高く売れる木を安定的に得ることはできない。脈々と受け継がれてきた営みが、今の組合の豊かさにつながっている。
「それでもやはり木材需要は厳しいものがありましてね。林業以外のこともやっていこうということで、昭和60年に購買部を拡大して林産物の販売施設を開店したんです」。
それが今の「モクモクセンター」であり、地域の特産物や木工品などを販売している。
「今でもオープンしたときのことをよく覚えていますよ。商品の数が足りなくてね。村中から家具や木工品を借りてきたんです。でも本当に売れちゃまずいから売約済みのシールをベタベタ張ってね。なのに、お客さんが集まらなかった」。
こんな話を笑い話としていえるのも今の成功があるからだろう。「モクモクセンター」は、加子母地域に国道が開通したこともあって順調に売り上げを伸ばし、現在は五千種類もの商品を扱うほどになった。森林組合による多角経営のモデルケースとして全国からの視察も絶えない。そしてこの成功は、思いもよらないところにまで波及した。

サービス業から転身した三浦大二郎さん |
多角経営の成功がもたらした真の効果
「昭和62年ごろからですかね。担い手をしっかり育てていこうということで、熟練者2人が新人3人を育てながらコアの職員10人を確保してやっていく体制を目指したんです。そこで地元に募集をかけたのですが、いわゆる3K職業として敬遠されてしまいました。考え方は分かるが、自分の息子を組合にやる気はしないと」。
ところが、である。「モクモクセンターの成功によって今では地元の人も積極的に募集に応じてくれるようになりました。それと小学校の先生からは、地域の主要産業について子どもたちに学ばせたいと体験学習の申し込みが来るようになったんですよ。昨年は、ふるさと学習の授業で林業について発表した中学校が賞を受賞しました。うれしかったですね」。
それだけではない。モクモクセンターで売る商品を作っているのは、半数が地元の人たちだ。土産物店としての成功がこれらの人たちのお小遣い稼ぎに貢献する結果にもつながった。
もちろん、こうなるまでには、給与制度や労働時間を整えたり、担い手の人材育成に力を入れたりするなどの地道な取り組みがあった点も忘れてはならない。また、モクモクセンターで子どもや親子を対象にDIY教室を開き、積極的に地域との交流を図ってきた実績も持つ。「単に国道が通ったから」だけではないのである。
かくして、木工を作る大人から学習に来る子どもまで、地域の中心的な役わりを果たすこととなった加子母森林組合。人材も今や様々な地域から様々な考えをもって集まるようになった。そこで、今年4年目となる二人の若手に話を聞くことにした。
180度違う世界から来た。木を送り出す25歳

切り出した木材をクレーンで積み込む作業 |
「加子母森林組合IUターン者名簿」を見せてもらったとき、「前職」の項目でひときわ目を引いた経歴の人がいた。三浦大二郎さん(25歳)である。
森の暗がりから林道に出てきて照れながらあいさつをしてくれた三浦さんに「美容師やってたっていう感じがします」と、思わずいってしまってから謝った。すると、「いや、いいですよ。今までサービス業しかやったことなかったですから」と教えてくれた。
美容師は自分が「一生やっていく仕事じゃない」と、あるとき思い、名古屋から地元に帰ってきた。そんなときに森林組合の募集があったという。
「最初はきつかったですね。毎日、帰ったら倒れ込むように寝ていました。もう、かなり慣れましたけれど」。
やっと4年。今は木材の選別、販売、運搬の業務に携わっている。取材に訪れたときは、木材をクレーンでトラックの荷台に積む作業の直前だったので、仕事を続けてもらった。
身軽に荷台に上がった三浦さんの頭上に、クレーンで吊り上げられた丸太が下りてくる。それを長い柄の先にとがった金具が付いた「トビ口(鳶口)」という道具をうまく使って誘導し、積み上げていく。木を傷つけない技術も要求される仕事である。
横で見ていた内木さんが「三浦君、かなりたくましくなりましたよ」と目を細め、「身のこなしもいい」と付け加えた。「運動神経のことですか?」と聞くと、それだけではないという。
「例えば、急な斜面を登って道具を取りにいくのにも、先の仕事を考えて一度で済ませるか、そのつど取りに行くかでは体の疲れ方がまるで違います。危険な道具も扱う仕事ですから、疲れて集中力が途切れれば、命に関わることもあるんですよ」。
「身のこなし」とはそういったことも含む言葉だという。事実、三浦さんも、丸太がお腹に直撃したことがあった。それを「集中力を欠いていた自分の責任」という。骨や内臓に影響はなかったが相当苦しかったそう。その後3日間、仕事を休んだ。
「自分がこの仕事に向いているかは分かりません。でも、覚えなければならないことは山ほどあります。もっと経験を積んで、他の仕事もやってみたいですね」。
ファインダー越しの真剣な表情はもはや、森の仕事師の顔だった。

岐阜県立森林文化アカデミー卒業の水野知史さん |
木を見る目が優しい。木を植え、木を切る25歳
運搬の現場から離れ、次は造林の現場に向った。時間は午後3時半。林道から森に分け入ると、けっこう暗い。あたりには木を切り倒す「ギギー、ドドーン」と、迫力ある音が響いていた。
急な斜面を上ること数十メートル。1本1本の木々に日が当たるよう整えられ、比較的明るくなったところで水野知史さん(25歳)が「おつかれさまでした」と出迎えてくれた。
息を整え、切ったばかりの丸太に腰かけて話を聞いた。飄々とした風貌の水野さんは新卒で森林組合に来たという、これまた珍しい経歴を持つ。卒業した学校は森林・林業を学ぶ学校で、その名も「岐阜県立森林文化アカデミー」。地方自治型自由学校として実践的な教育をする新しいタイプの専修学校である。その実習で加子母森林組合に来たことが今につながった。
話しながら撮影をしていると、遠くのベテラン職員から「そっちの少し上の木」と、指示が来た。どうやら木を倒すところを撮らせてくれるらしい。「樹齢のある木の伐採は気を使う」という。倒し方や切り方によって価格が違ってくるからだ。

この直後、地響きをともなって木が倒れた |
チェーンソーがうなりをあげた。まず倒す方向に切り込みを入れる。みるみる木が削られていく。半分より手前で、今度は反対側から水平に。しばらくすると、「ギィー」という長い音を発して木が傾き始めた。こうなると一瞬の出来事だ。枝同士がぶつかり合う「ザザザザ」という音が「ギィー」に重なった後「バリバリ、ズドーン」と、轟音と地震のような揺れをともなって倒れていった。どうやらうまく倒れたらしい。しかしものすごい迫力だ。
いつも太い木を切っているのかとたずねると「勝手に切らせてはもらえません。需要や山の状況によっても違います」という答えが返ってきた。ただ切ればいいということではないのだ。林業は奥が深いから」。
驚いた。前号の取材で会った森林組合の人が口にした言葉を、ここでも聞いた。森の仕事とは、誇りをかけるに足る仕事なのだろう。 |
| 【No.2(2006年夏号)掲載】 |
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