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| 出雲で「出西織」を学ぶ |
| 島根県斐川町 吉野路子さん |

「本物の木綿を」求めて、斐川町へやってきた吉野さん |
「木綿のすべてを学びたい―」そう思い立った千葉県出身の吉野路子さん(24歳)は、2006年3月に島根県斐川町へ移住。多々納桂子さんが主催する「出西織」の工房へ通い、綿の栽培、紡ぎ、藍染め、織り…その全工程を学んでいる。
かつては日本でも各地で綿が栽培され、家々から機織の音が聞こえていたが、国産木綿を栽培し、機を織れる場所は今ではごくわずか。大学卒業後、「木綿のすべて」を学べる場所を求めて各地を訪ね歩き、この町へたどり着いた。 |
栽培、紡ぎ、染色、織りすべてを学ぶ
多々納さんの工房の近くにある畑で、人の膝丈ほどに伸びた苗が並んでいる。
「今年の5月、ここへ来てから先生と蒔きました」と、いとおしそうに見守る吉野さん。7月頃に黄色い花が咲き、8月末に実が弾けてまっ白な綿毛で覆われる。これを摘み取ったものを「棉」、そこから種を取り除いた後のものを「綿」と表記する。かつてはそんな表記上の区別があったが、今ではほとんど「綿」になったのは、栽培をすべて外国に依存するようになったから。日本で本物の「棉」に触れる機会は貴重だ。
種を取ったら綿打ちをして、糸車を回して糸紡ぎ、紡いだ糸を「カセ」に取り、藍で染め、機に糸を通して織る…そんないくつもの工程を経て、一粒の種が布に生まれ変わっていく。
世の中に少しでもいいものを…

糸車を回して綿から糸を紡ぐいでいく。千切れないのが不思議なほど |
吉野さんが、布に興味を抱き始めたのは学生時代。大学では地域文化を専攻していて、卒論で信州の上田紬を取り上げた。
「このままでは本当にいいものが、知られずに終わってしまう。そんな危機感、不安感がありました」
卒業後も、伝承文化の保存に携わりたいと、企業や博物館を訪ね歩いたが、なかなか働ける場所が見つからない。そうこうするうちに、興味は絹の紬から確実に「木綿」へと変わっていった。
「直接肌に触れる木綿は、庶民の衣料。普段着に使えて、水で洗えて、雑巾になるまで使える。絹ではなく、木綿をやりたい」
知多木綿の産地の愛知県、倉敷の本染手織会……人づてに情報を得て、各地を訪ね歩くうち、島根県の出雲地方で、出西織を手がけている多々納桂子さんのことを知った。

これが手紡ぎの木綿糸 |
多々納さんは、夫で陶芸家の弘光さんと共に、庶民の生活の中から生まれた工芸品に意義と美を見出す柳宗悦氏らの民藝運動に共鳴。戦後、倉敷民藝館の外村吉之介氏や、藍染の第一人者片野元彦氏の指導を受け、制作を続けてきた。
吉野さんがすぐにでも「会いたい」と思い、斐川町を訪ねたのは2年前の夏。しかし、すぐ入門できる状態ではなく、「しばらく待ってほしい」との答えだった。
そうして多々納さんの返事を待つ間、兵庫県篠山市にある「創作館」で、地元の人たちが守り続けている「丹波木綿」の技を学んだ。ここで初めて糸紡ぎや機織りを体験。木綿への思いは、ますます高まっていく。

吉野さんが作っているランチョンマット |
今、食べ物に使われる農薬に敏感になっている人は多いが、世界で最も農薬が使われている作物が「棉」であることを知った上で衣服を着ている人はほとんどいないのではないだろうか。
「私たちは、他所の国の土を汚して作られた棉で生きている。こうなったら、私だけでも自分で紡いだものを使って、世の中に少しでも、いいものを提供していきたい」
「食べていけない」と人はいうけれど
そうして多々納さんの受け入れ体制がようやく整い、08年3月から斐川町へ。受け入れに際し、(財)ふるさと島根定住財団の「しまね産業体験」事業を活用した。
篠山で過ごした1年半の間に、紡ぎや織りなど、一連の作業はできるようになっていたが、ここへ来て初めて体験したのは、藍の「本染」だ。
工房には、4つの藍甕あいがめがあり、蓋を開けると中央に花のように泡立っているのが見える。隣には大きな竈。ここで薪を燃やした後に出る「木灰」が、藍染めには欠かせない材料なのだ。

工房近くの棉畑。「9月の収穫が楽しみです」 |
多々納さんは、木灰からとった強い灰汁と藍すくもを練って藍甕に仕込み、発酵させる「発酵建て」の手法を用いている。同じ藍染めでも苛性ソーダを用いた、化学藍の混合が主流となった現在、発酵建ては稀少な存在。熟練と勘に頼るところが多く、加減を間違えると腐敗してしまうため、別名「地獄建て」とも呼ばれている。
工房では、自家栽培した木綿の手紡ぎ糸のほかに、外国産の紡績糸も染めているが、「うちで作った綿の方が、ずっと発色がいい。びっくりするほど違いが分かります」と、多々納さん。
現場でその様子を目の当たりにした吉野さんも「藍すくもと、地下水、灰、お酒、全部自然のものを使っている。やっぱり本物は、人を引き付ける。肌感覚とか匂いとか、言葉にできない魅力がある」。

60 年前から出西織に取り組んでいる多々納先生と |
今は「何をやってもおもしろい」状態で、目の前の仕事で精一杯。まだ具体的なビジョンは描けていないが「本物の綿」で生計を立てていくことは難しいと感じている。
「周りの人はみんな『それじゃ絶対、食べていけない』といいます。が、それでも、挑んでみたかった(笑)」
確かに、織りや染めに関心を持ち、趣味で手がける人は少なくないが、多々納さんのように、生業として「本物の綿」を作り続けていくことが、至難の業であることも、肌で感じている。技を学び、磨いていくのもチャレンジなら、本物の本染めと手織りの布を、世に広めていくのもまたチャレンジ。その道は、まだ始まったばかりだ。 |
| 【No.4(2006年冬号)掲載】 |
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