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百姓ゆえの春夏秋冬の風景
中村顕治
 年取るとはどういうことか。37歳でこの地に移って猪突猛進、百姓となり、亥年の年明け早々還暦を迎えた僕は考えた。
 春夏秋冬という名の4枚のカード。それを横一列に並べて同時に見る眼を持つ。それが年を取るということかも知れない……。
 人は、冬が来れば秋を振り返る。夏に差しかかれば過ぎ行く春に想いを寄せる。現在を起点に互いに接する季節を一つの意識の中に並列することはある。が、春夏秋冬、4枚のカードを机上に置き、一覧することは、ふだんあまりしない。
 近ごろ、僕は、春と夏と秋と冬が、いっぺんに見えるようになった。ちょうどバーミヤンの二つ折りメニューみたい。カラフルな厚紙に旬の味覚が収まっている。左右に開けば春と夏、裏返したら秋と冬。

 前号で僕は、ふるさと祝島の思い出として温州みかんを書いた。もうひとつ、忘れられない果物がある。ビワだ。
 祝島は温暖。子どものころ霜を見た記憶がない。東京に来てすぐの冬、当時住んでいた西武新宿線の枕木が真っ白になっているのを見て友人に、「今朝雪が降ったぞ……」といって笑われた。
 温暖だから祝島ではビワがよくできた。食ってプイと口から吹き出した種が勝手に発芽する姿を僕はよく目にした。

 だからビワは、温州みかん同様にこだわりがある。甘い果汁したたる大粒をなんとか成らせたい。だがこの地は寒い。降る霜は高級絨毯の毛足のように長く、深い。
 それにしてもビワというのは妙な果物だ。ほかの果樹が息をひそめる晩秋に花を開く。わざわざ幼果で寒い冬をくぐる。僕にはそれが、極寒の滝にあえて打たれる修行僧のようにも思われる。オレより偏屈、頑固者だ、とも思う。

 1月から3月はこの百姓にとっても苦しい時だ。どうしたら売り物を切らさず春につなげられるか。十数品目のセット販売を看板に商いする「なんでも百姓」の苦労は大寒から彼岸のころまで続く。
 地下にあって順次掘り出す里芋、ヤーコン、アピオス、長芋、生姜、ニンジン。冷蔵庫に眠るキウイ。地上にあって防寒を施された大根、白菜、キャベツ。ビニールトンネルの小さな春に、ゆるやかに育つ小松菜など十数種類の葉もの……。
 3月の声を聞くころには、ウド、アスパラガス、フキにトンネルを施し、一日でも早い収穫をもくろむ。大雪が降ってしまえばこの目論見は冷たい雪の下に沈む。
 さりとて泣き言ばかりの冬ではない。ビニールとベタ掛け一枚でいかに落ち込みを少なく、収穫を維持するか。あえて英語を使えばすこぶるチャレンジング。
 その厳寒、僕は庭のチャボのたくましさに感動する。給水器に張った氷を叩き割る僕のそばで母チャボが卵を抱いている。3週間後にはそれがヒヨコになり、霜溶けの庭に母の後を追う。

 寒卵という言葉はもはや世間で死語に近い。しかし僕はこの言葉を熱いどんぶり飯で実感する。寒さでキリッとしまったチャボの卵の美味なるゆえんは、寒気の中でわが身を守らんとする野菜が糖度を高め、旨みを増す、あの理屈と同じかもと勝手に判断しつつ卵かけご飯を食う。
 寒卵を食う僕の目に、春の予兆の紅梅が「見える」。満開の梅の下に幼いチャボの遊ぶ姿、梨の花、蜜柑の花が咲く風景まで「見える」。
 そして思う。春夏秋冬、4枚のカードが横並びに見えるのは、生きた時間の長さ、そのせいだけではなさそうだと。
 百姓の脳には、四季の花、作物、昆虫、そして春夏秋冬の作業が刷り込まれる。刷り込みは深く、大きくなり、脳からこぼれ出し、空を舞う。わが脳からこぼれた風景を、わが眼が広角でとらえる。
 百姓ゆえの複眼が畑仕事の中から出来上がるのだ。そしてこの真冬、うだる8月の空があり、汗だくの自分がいる。
−プロフィール−
【なかむら・けんじ】昭和22年1月山口県生まれ。33歳で築50年の農家跡に移住。東京での勤めと並行して野菜栽培の基本を学ぶ。現在は千葉県八街市在住耕作地50アールに典型的な多品種少量栽培。チャボ200羽を庭に放任で飼育する。
【No.5(2007年春号)掲載】
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