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イチローと「次郎」
職人仕事の手本のふたり
山本益博
 若いときからわたしの情熱の対象は、いつでも職人仕事だった。職人仕事というのは、頭で考えたことを手で表現する仕事のことだから、料理ばかりとは限らない。舞台の上の芸も、音楽家の演奏も野球選手のプレーも、どれもみな職人仕事といってよい。
  現在、日本人で最高の職人仕事を披露しているのはマリナーズのイチローと、銀座のすし店「すきやばし次郎」主人・小野二郎の、イチロー、「次郎」のふたりである。このふたりを例にとりながら、職人仕事とは何かを考えてみようか。
  マリナーズのイチロー選手が、日本人のメジャーリーガーの中でも桁違いに好成績を上げているのにも、じつはわけがある。メジャーに移ってからのフィールド上の彼の一挙手一投足を逃さず見続けていて、わたしはいくつもの法則を発見した。そのレポートをもとにイチローへのインタヴューを添えて一冊にまとめたのが「イチローに学ぶ失敗と挑戦」(講談社刊)なのだが、そこから「イチロー勝利への10カ条」を引用してみよう。

一、やっていることにはすべて意味がある。
一、なにより準備が大切。
一、毎日の仕事の再点検を怠らない。
一、道具を知り、使いこなす。
一、すべては小さな積み重ねから。
一、ことあるごとに基本を見直す。
一、他人の評価より自分の成果。
一、失敗から多くを学ぶ。
一、目標を高く掲げ、結果を出す。
一、完璧を目指して、最善を尽くす。

  わたしの見るところ、これがイチローの野球哲学なのだが、この10カ条、どの世界のどんな仕事にも共通するのではなかろうか。
  例えば、道具を知り、使いこなす。職人仕事はすべからく道具を使って仕事をする。つまり、道具は自らの手の延長上にあるもので、仕事をする上で欠かせないものである。
  イチローの場合は、バット、グラブ、スパイクなどがこれに当たる。彼ほど道具を大切に扱う選手はいない例として、わたしは次のような質問を投げかけた。その一問一答が次のものだった。

【山本】三塁側から見ていると、イチロー選手がホームインしたあと、バットボーイが収納したバットケースの中から自分のバットを取り出して必ず点検している。これは何をチェックしているんでしょうか。ひょっとしたらボールがバットに当たったところを、頭の中でイメージしたのと同じかどうか、確認しているのかしらと思ったのですが。
【イチロー】あれはいったん人の手に渡ったバットを自分の道具として取り戻すためにチェックしているんです。
  職人は、まず、道具をきちんと扱えなければいい仕事はできないというわけだ。
  野球選手にとってのバットは、料理人に当てはめれば庖丁ということになるだろう。
  「すきやばし次郎」では、庖丁は見習いの段階では持つことさえ許されない。清潔な厨房からしか美味しい料理は生まれない、をモットーに、まずは掃除を徹底的に仕込まれる。食べものを扱う店は、キレイすぎることはないというわけで、朝に昼に晩に清掃である。掃除が一人前に出来るようになって、はじめて魚を扱わせてもらえる。つまり、庖丁を手にすることが出来るのだ。
  「仕事を覚えるなんてのはずっと先のことです。まずは我慢を覚えることが大切。格好悪いことや自分のやりたくない仕事もいっぱいあるんですけど、それを辛抱する。いまの若いモンはこれが出来ない。我慢も辛抱もしたことがないから……。でも、これが出来ないヤツは、職人仕事ではけっして一人前にはなれませんね」
  小野二郎の仕事ぶりを見ていて思い浮かぶのは、次の五つのことがらである。
一、素直であること。
一、清潔であること。
一、向上心がある。
一、負けず嫌い。
一、わがまま。
  仕事に対してはいつでも素直になれ、なにより清潔であることを心がける。これでよしということが絶対になく、まだ学ぶことがあると謙虚になりながら、誰にも負けたくないと仕事に磨きをかけることを怠らない。そうして、わがままであるゆえに独創的な仕事を生みだすのだ。はじめの四つは、社会の組織ではメリットだが、最後のひとつは組織ではデメリットでも、職人仕事にこそ欠かせない資質である。
−プロフィール−
やまもと・ますひろ
料理評論家。1948年東京生まれ。早稲田大学卒。82年に出版した「東京・味のグランプリ200」(講談社)以来、食に関する著述、講演、TV・ラジオ出演を始める。01年に長年にわたるフランス料理を紹介する仕事が評価され、フランス政府より農事功労勲章シュヴァリエを受勲。06年に新潟県中越地震被災地での「料理ボランティア」を評価され、国土交通大臣より感謝状を代表者として受け取る。近著として「イチローに 学ぶ失敗と挑戦」(講談社)、「そんな食べ方ではもったいない!」(青春出版社)。
【No.6(2007年初夏号)掲載】
 
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