
白い紋様から「紋付」と名付けられた牛をなでる三谷剛史さん。左の牛の名は「ひょうきん」。牛の名前はすべて雅子さんが付けた。識別ができると個性もわかるようになる |
ジャージー種の放牧という独自のスタイルで就農した三谷さん夫妻。自分たちが追求する酪農にこだわっている。1年半かけて開発したヨーグルトが、岩手県のコンクールで二つの賞を受賞した。「これでよかったんだ」と仕事に自信をつけ、新たな夢を描いている。
黄色味の強いクリーム層がヨーグルトの表面をおおっている。「金のヨーグルト」という命名の由来だ。その下のヨーグルトは、ジャージー種の生乳ならではのコクと風味、乳酸菌の酸味、とろみが絶妙のハーモニーを奏でる。
2006年の秋に岩手特産品コンクール知事賞と、岩手ふるさと食品コンクール優秀賞をダブルで受賞した、みたに牧場こだわりの逸品だ。
「受賞は、自分たちが一番驚きました。急に収入が増えるわけではないのですが、『自分たちがやっていたことは間違っていなかったんだ』という自信がつき、将来の見通しが立ちました」と、三谷剛史さん(31歳)は語る。
剛史さんが、岩手県一戸町奥中山高原の、戦後の開拓牧場地域で新規就農したのは、受賞からさかのぼること5年、01年秋のことだ。
離農した酪農家の住宅、牛舎、農地を、岩手県農業公社の仲介でそっくり借り受けた。土壌改良、牛舎や住宅の手入れなど、周辺環境を整えた上で、03年春に最初のジャージー子牛13頭を導入。04年1月から本格的な搾乳を開始した。
現在は10ヘクタールの牧草地で、ジャージー種20頭の経産牛と7頭の育成牛を放牧している。
就農場所を求め、全国行脚
剛史さんは、大阪府堺市の出身。農業とは無縁の家庭だったが、自然の中で遊ぶのが大好きで、全盛期だったファミコンには見向きもせず、「魚釣り命」の小学生だった。高校時代にたまたま見かけた砂漠緑化のパンフレットがきっかけとなり、東京農業大学林学科に進学。畜産学科の雅子さん(28歳)と出合う。
雅子さんも愛知県岡崎市のサラリーマン家庭に育ったが、大学時代から「将来は農業をやる」と、決めていた。在学中に二人は結婚と就農を誓い、3学年上の剛史さんは先に卒業。就農場所を求めて農業研修という全国行脚の旅に出た。
「卒業から一戸にたどり着くまでの2年半が、精神的にも経済的にも一番つらかったですね」と剛史さんは振り返る。

お兄ちゃんの竜樹くんは2歳。お手伝いもしてくれる |
農業の実際を知っておこうと、野菜の有機栽培、コメ、酪農など各地でいろいろな研修をしたが、手当ては少なく、本当に苦しい生活だった。
やがて酪農に的を絞り、就農者受け入れに積極的な北海道のとある町を二人で訪ねた。就農システムはしっかり整っていた。しかし、反対にそのことに不自由さや不安を感じた。
「ホルスタイン40頭、農地40ヘクタールからスタートするようレールが敷かれていました。あそこで就農していたら借入金の返済に手一杯で、ヨーグルトにはまだ手を出せていなかったと思います」

こだわりの作品。仕上がりが納得できないロットは、市場に出さない |
型枠がないから築けた
柔軟な経営スタイル
一戸町に来たのは、岩手県で酪農を営む先輩がいたことと、当時、いわて奥中山農協が出していた「新規就農者、応援します」のパンフが縁。だが、北海道の例とは正反対。「応援」のモデルはなく、当初は「本当にこのひと、就農するの?」という半信半疑の目で見られたという。
それでも、酪農の現場にしがみつき、なにかしら学ぶ気持ちで、農協が紹介してくれた酪農ヘルパー、公共牧野の夏の監視員、削蹄などの仕事をして着実に地歩を固めていった。地域の酪農農家や行政も、その姿を見て手を差し伸べてくれた。
土地と施設を借り受けた後、搾乳した牛乳を集める牛舎内のパイプライン以外は、大きな設備投資はなし。牧草の刈り取りやロールにする作業は、組合に委託して、大型機械の導入もしなかった。
「いま思うと、決められた型枠がなかったことが、逆に無理のない経営や自由な発想につながった気がします」
03年秋に結婚。雅子さんは卒業後、就農資金の足しにと岡崎のコーヒー挽き売り店で働いていた。離れていても同じ夢を温め続けた二人が、ようやく合流。加工品の試作などにも取り組み始めた。

お産の予定日を迎えている牛を、牛舎で見守る |
こだわりでつくりあげた
本物の味
雅子さんは「牛乳は価格の変動が大きくて、加工などでリスク配分が必要だと考えました。とくに就農直後でなにももたない私たちは先行きが不安だったんです」と語る。
加工品の開発は、「正直に、本物を」というこだわりの一念で始めた。基本となる牛はジャージー種の放牧。青草を十分食べて運動するため、栄養価が高く風味のいい乳がとれる。また、放牧だと牛乳にも季節ごとに旬の味があるのが魅力だ。
絞った牛乳は、本来の味を残すため低温で殺菌する上、均質化しない(ノンホモ)ので表面にクリーム層ができる。
ヨーグルトの製品化は、運よく花巻市の加工業者が小口のロットでも引き受けてくれることになったおかげで実現した。
ところが、乳酸菌の選定に1年以上もかけ、試行錯誤しながら完成させたレシピどおりにつくっても、同じ味がなかなか出せない。
高温殺菌の牛乳はたんぱく質が変性していて4時間もあれば固まるが、低温殺菌だと20時間近くかかる。工場の強力な攪拌機を使うとノンホモ牛乳は脂肪の粒ができてしまう。数多くのことが、やってみて初めてわかった。
「工場に面倒がられながらも、粘り強く交渉して、半年かけてようやく納得がいくものの製品化にこぎつけました」
それでもまだ8割の出来だという。
農業は、やり始めたらやれるもの
就農してよかったことは、「自分たちでなんでも決められること。こだわりを実現する場があること。加工品がだんだん形になっていく、つくるおもしろさがあること」だという。
一方、サラリーマンのように月々の生活の保障がなく、老後に不安を感じることもある。
「でも、『こうだったらいいのに』と思うことはどんどん現実にしていけばいい。農業は、やり始めたら案外やれるものです。踏み出すことが大事」
4月に二人目の男の子が生まれ、ますます人生が充実。自前の工房を建て、ヨーグルトのほかにも加工品をつくるのが目下の夢だ。加工する分だけの牛を飼い、堆肥もうまく回せる「小規模のきれいな酪農」を目指す。
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