
出荷時期を迎えたベゴニアは根強い人気。スタンダードな品種と単価の高い品種とを組み合わせて経営安定を狙う |
就農した2002年、厚母稔さん(42歳)は妻の真理子さん(34歳)と結婚して1年、第一子が誕生したばかり。「どうしてこの時期に脱サラして農業を?」と、誰もが思った。しかも会社では、取締役にまでなっていた。「私は一人っ子ですからね。東京にいる実家の親は怒り心頭ですよ。なぜ山形なのか、山梨だろうと何度も聞き返されました」と、当時を振り返る。
高校卒業後、東京のコンピューター関係の会社でソフト開発の仕事をしていた。仕事柄、深夜まで勤務することも多く、会社に泊まり込むこともあった。徹夜していたある日、同じく徹夜組に50代社員がいた。日進月歩の業界である。久しぶりに現場に戻ったその人は、苦労しながら仕事をこなしていた。その時、「オレ、このままでいいんだろうか」と思った。一方で、休日には交際中だった妻の真理子さんと田舎道をドライブしながら、「将来は田舎で農業をして暮らすのもいいね」と語り合っていたのだった。
何をどう学ぶかは本人次第
それから、新規就農相談センターや新規就農講座に顔を出すなど、情報収集を始めた。農業について知るほどに、「自分がやるとしたら、花か野菜」と作目が絞り込まれていった。新・農業人フェアにも参加した。だが、踏ん切りがつくほどの決定打が見つからない。そんな折、何度目かのフェアで、山形で鉢花生産をしている後藤農場(後藤隆英代表)と出合う。厚母さんは、「農業の大変さばかりが強調されるなか、後藤さんは『やる気さえあれば大丈夫』と前向きな話をしてくれた。また、飯豊町の町ぐるみで新規就農者を受け入れる姿勢にもひかれました」という。
出合ってから1年がかりで退職の手はずを整え、いよいよ後藤農場での研修が始まった。「ここでは、働きながら、見て学ぶスタイル。本人にその気がなければ、ただの従業員になってしまう」と厚母さん。自ら積極的に学ぶ姿勢が大切ということだ。技術もノウハウも、花づくりの基礎すべてをここで学んだ。農地探しも、当時、農業委員会会長を務めていた後藤さんが面倒をみてくれた。

鉢植え作業は意外に重労働。始めたばかりのころは背中がカチカチになり、1ヵ月で12キロ体重が減った |
高値で売れた経験が自信に
独立にあたっては、行政の手厚いサポートもありがたかった。厚母さんは「ニューファーマー経営安定加速事業」をはじめとする県の支援制度や、飯豊町独自の新規就農促進対策事業を活用して、施設や設備を整え、住宅を確保した。また研修期間中、町が無償で提供しているトレーニングハウスで、自分の花を栽培・出荷できたことも、とても有効だったという。「研修期間中に作った花がとても よくでき、市場に出したら高値で全部売り切れまして。『おお、おもしろい』って、あれで味をしめましたね」と笑う。
現在、独立して6年目。4棟のハウス(約1900m2)で、年間30〜40種類の花を栽培し、ホームセンターや市場に出荷している。実際に自分で経営してみて、思った以上にものづくりの難しさを痛感している。「いかにロスや売れ残りをなくすかが課題」だ。また、「一応黒字ですが、時々貯金を崩すことも。収益面の独立はまだまだ」と話す。
忙しい時期は、地元の人にパートで働いてもらっているが、野菜や山菜を分けてもらうなど、生活面でも助けてもらうことが多いそうだ。また子どもの存在が、地域との付き合いを広げる入り口になっている。当面の目標は、生活できる程度まで黒字を伸ばし、ログハウスを建てること。「もう場所は確保してあるんです」と、敷地を指さした。
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