
「自宅でも金魚のエサやりしてますよ」と笑う富室さん |
出世魚の代表格、ブリ。成長に応じて変わる呼び名は、地方によっても異なる。
ブリの水揚高で全国屈指の鹿児島県のなかでも、天草諸島に面した東町は養殖が盛んで「鰤王」ブランドの産地。身が締まってうまいと評判のブリを育てる秘訣は、平均水温19℃という恵まれた自然環境だけではない。エサや管理の工夫、それに魚に対する愛情も必要だ。
やっぱ漁師になりたい!
「昔から泳いでいる魚を見るのが大好きで、水族館によく行ってたんですよ」と屈託のない笑顔で語る京都府出身の富室明登さん(22歳)。2年前にIターンで東町へ来た。
父の勧めもあって建築の専門学校に通っていたが、就職を前に漁師になりたいと、在学中の2005年、鹿児島県が主催する「ザ・漁師塾」の研修に参加。その年の研修地だった東町で、ブリ養殖を体験した。

1袋10kgの飼料をかついで船上を移動。 |
初めて間近で見る養殖漁場。いけすにエサを投入すると、それまで静かだった水面が突然、水しぶきを上げ始めた。お腹をすかせたブリたちが、一斉に食いついてきたのだ。小一時間ほどかけてエサを与えると、ブリも満腹になったのか水面は再び静けさを取り戻す。
「自分の与えたエサで、ブリたちが成長していくところにひかれましたね。育ててみたいと思いました。それに、魚を追う漁業に比べて、収入が安定していることも選択のポイントでしたね」
研修終了後、担当者に気持ちを伝えると、運よく求人募集していた長元水産を紹介され、無事採用が決まった。

8m×8mのいけすの中に2000〜2500匹のブリが泳ぐ。ここに撹拌したエサを機械で投入する |
天然の稚魚を探しに外海へ
ブリの養殖は、モジャコを捕るところから始まる。モジャコとは「藻についたジャコ(小さい魚)」、つまり藻に産みつけられた無数のブリの卵が孵化して棲みついたもの。モジャコ漁はこの藻ごと捕獲する漁だ。春先の約1カ月が解禁期間。
06年4月、漁師として第一歩を踏み出した富室さんは、モジャコ船(9トン)に乗り込んで、東町から数百km離れたトカラ列島や屋久島まで漁に出た。
「暖流と寒流の境にできる潮目に沿って、列になって浮かんでいる藻を、乗組員たちの視力を頼りに探すんです」
見つけたら、長い竿に取り付けた網を使ってすくい上げ、モジャコだけをより分けて水槽に入れる。この作業が早朝から夕方まで続く。湾内の海と違って外海での漁は波も高く、富室さんは初めて船酔いを経験した。
「先輩漁師たちがテキパキと仕事をこなしているなかで、何をやったらいいかわからなくて、自分は役に立っていないと感じたのが、なによりつらかったですね」
モジャコ漁は行き帰りも含めて3〜4日で、それを数回繰り返す。夜は近くの港に船を着けるが、寝泊りは船の中。富室さんは、先輩漁師とともに、波の音を聞きながら眠った。

毎日エサやりをしながら、
ブリの体調をよく観察する |
毎日のエサやりが実を結ぶ
モジャコ漁から戻ると、毎日のエサやりが重要な仕事となる。1gに満たないモジャコを、2〜3年かけて5〜10sのりっぱなブリに育て上げるためだ。
エサは、冷凍したイワシやサバと、栄養のバランスを考えて漁協が独自で開発した飼料を混ぜてつくる。
「配合の割合は、魚の大きさや体調、それに水温や潮の流れを見て決めています」
最初は先輩漁師から量の目安を教わったが、あとは自分が毎日エサやりをするなかで経験を積み、感覚を磨いて、適量がわかるまでになった。
いまでは、長元水産が所有する45台のいけすのうち8台を任され、毎日1万匹のエサやりをこなす。同時に、エサの食べ方や泳ぎ方を見て、病気にかかっていないかチェックするのも大切な仕事だ。

冷凍イワシと飼料を撹拌機で混ぜてエサをつくる |
さらに、新人の役目として、早朝5時からすべてのいけすを見回り、ブリが死んでいたら、その死骸取りをする。出荷がある日はこれに水揚げ作業も入る。特に年末は需要が高まるので大忙しとなるが、自分の育てたブリが正月の食卓を飾ると思うと、やりがいを感じる。
そのためにも、毎日のエサやりといけすの見回りが欠かせない。就業は月曜から土曜となっているが、休日も自主的にいけすに足を運ぶ。ブリが気になって仕方がないのだ。一緒に暮らす彼女には少しさびしい思いをさせているが、それも将来の独立を考えれば理解してもらうしかない。
「いつか自分のいけすを持つ」
その夢がかなうまでは修業期間。毎日の地道な努力が、夢を現実にする。 |