
パートナーの荻野晶子さん(35歳)は大阪の法人で社会福祉士として働いていた。「農業でホームレスの自立支援、という珍しい夢を互いにもっていた者同士」だと笑顔。佐渡でも社会福祉士として重宝がられている |
難民支援からホームレス支援へ
かなり変わった経歴の持ち主だ。
津田政明さん(52歳)が佐渡に移住したのは昨年3月。彼は、それまで定職に就いたことはない。横浜の高校を卒業後、20年以上、欧米やアフリカを放浪。生業はその時々で、古着の輸入、独学の指圧術、音楽イベントやファッションショーの裏方など。どれもひとかどの域に達し、生活できた。
やがてニューヨークの教会で初めてボランティアに触れ、さまざまな活動に参加するようになる。1994年から約5年間、ルワンダで難民支援のボランティア活動に、主に個人で取り組んできた。
「ある日、思いがけず日本のホームレス問題をルワンダ人に指摘されました。彼らこそ助けるべきだと」
数日後に帰国。東京都庁近くの公園で、たった一人でお茶のサービスを始めた。3年後、大規模な炊き出しと清掃活動「新宿530(ゴミゼロ)部隊」に発展し、仙台と大阪の仲間に引き継がれている。

かまどを修理して、ご飯は薪で炊く。
風呂も冬の暖房も薪が燃料だ |
熱意ある受け入れですんなり就農
農業に目を向けたのには二つ理由がある。一つは、内戦で荒廃した農地が翌年にはよみがえる底力を、アフリカで目の当たりにしたことだ。自給自足できない自分と日本に危機感を抱いたという。
2年ほど、就農場所探しと勉強を兼ね、各地の有機農業研究会や農場を見学して歩いた。一昨年秋、イベントで偶然、佐渡の「トキの田んぼを守る会」(以下「守る会」)と出合う。会の有機無農薬栽培「トキヒカリ」を食べて、「際立ってうまい。パワーのある米だ」と心動かされた。
話はとんとん拍子に運び、「田んぼはいくらでもあるから来いよ」と誘われ、迷わず「行く」と答えた。「守る会」がすかさず家と農地をあっせん。出合いからわずか4カ月後、津田さんは農家になった。
「守る会の人たちが本当に親身になってくれます。収穫できるのは会のおかげ」
米づくり1年生の昨年、近所の会員が毎日教えにきてくれた。今年は春先にけがをして作付けをあきらめかけたが、会長が「田植えまで面倒を見るから、あとは頑張れ」と、仕事を終えてから毎夕、来てくれた。苗は初代会長の自信作だ。
「就農は『受け入れたい』という地元の情熱次第。全国各地にいろいろと相談窓口がありますが、守る会のような出合いがあれば、農村に人は来ます」

「草取りが一番楽しくて一番大変」だという有機無農薬栽培の水田。今は4.5反だが、いずれ1町ほど借りたいという |
農村の課題解決に尽くしたい
最初の話と違い、「いくらでも人に農地を貸すことができる」ほどの状況ではなかったが、それ以外はすべて順調で、地域にもすんなり溶け込めた。だが、過疎化や高齢化、後継者不足などの問題もだんだん見えてきた。
「田畑を支えているのは、お年寄り。数年後には食糧自給率はもっと下がる」
実は、津田さんが農に目を向けたもう一つの理由が、「ホームレスの働く場を農村に見出せないか」というものだ。
「働く意欲があり、仕事を求めているホームレスは多い。農村の問題とマッチングさせて解決できないだろうか」
そのためにはまず、自分が農家として一人前になって生計を立てられるようになることが先決。今はあせらず、米づくりの基本をじっくり身に付けるつもりだ。
「農業は、食べ物をつくるという人間の根源的な営み。働きたい人間を受け入れる懐の深さがあるのではないか」
津田さんは、農業に大きな可能性を透かし見ている。
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