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阿部さんが初期のころに製作した机は、人柄を表すようなやさしいフォルムだ |
日に焼けた大柄な体躯と、人なつこそうな笑顔が印象的な阿部誠司さん(34歳)。旅好きが高じて、学生時代は全国をくまなく巡り歩いていた。卒業後も、神奈川県横浜市の実家に戻った時だけアルバイトをして、お金が貯まるとまた旅に出るという生活を繰り返していた。
アウトドア派で、キャンプ場でも観光地でもない場所にテントを張って寝泊まりしていた。「知らない人の家の風呂を借りた経験もあります。現地の人からよく声をかけられるんですよね」と笑う。
西表島で「キビ刈りを手伝わんか?」と声をかけられ、1年ほどサトウキビ農家を手伝う。1999年、26歳の時だった。その時に現在の奥さん、島で小学校の先生をしていた愛香さんと出合った。
家具修理工を経て工芸指導所へ
愛香さんは那覇市出身。結婚のタイミングを図っていた誠司さんは、那覇への移住を決意する。旅行で何度も訪れていた沖縄は知り合いが多く、移住の大変さも具体的に聞いていた。友人が大勢いるため、移住にはなんの不安もなかった。
もともと東京造形大学で家具デザインを専攻していたので、仕事は木工関係をあたってみた。タウンページを見て電話し、10軒目くらいで家具のリペア(修理)を請け負う木工所への就職が決まった。
そして2000年に結婚。大学でデザインを学んだこともあり、日々、家具を自分で作りたい気持ちが強くなっていった。
01年春に木工所を辞め、沖縄県工芸指導所(現・工芸技術支援センター)の木工研修に申し込む。初心者を対象とした一般研修を半年、それを修了してから特別研修をさらに半年以上学んだ。
「そもそも指導所に入ることは、妻が勧めてくれたんです。その間の家計を支えてくれたのも妻。パートナーの理解なくしては通えませんでしたね」
研修修了後、思ったような就職先が見つからず、独立することにした。
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| 1階(写真右)と2階(写真左)には、沖縄の木を使ったおおらかな風合いの作品が数多く並ぶ。ダイニングテーブルやベンチチェストなどの大物から、額縁、時計、鏡などの小物まで、各作家の作品が展示販売されている |

店頭のヤシの木とグリーンの外壁が南国の雰囲気を醸し出す「moku moku」の外観。宜野湾市の家具屋が並ぶストリート沿いにある。オープン当初は7人だったが、現在は9工房10人で運営している |
人との巡りあいの花が咲く
とりあえず、自宅で「ABE CRAFT」という工房を立ち上げたが、アパートの一室ではなにもできない。昼間は音の出ない作業を中心に行い、残りは指導所の大型機械を借りて作業をこなした。材料になる材木を置くスペースもなく、奥さんの祖母の家に置かせてもらった。
「フリーになっても、すぐに作品が売れたり、注文がきたりするわけじゃない。しばらくは年2〜3回ある木工イベントに出展して、作品を売っていました」
だが、そこでまいた種が花開き、その後の誠司さんの進路を決定づける。イベントで顔を合わせている同業者たちの間でギャラリー立ち上げの話があり、その人たちから声をかけてもらったのだ。
02年3月、宜野湾市に沖縄工房家具&木工クラフト「moku moku」がオープン。7名のメンバーが共同で出したショップだ。大型家具が置ける広々とした店舗を借りられたのも、人数の多さが生んだメリット。店番も交代で済む。
「いい人たちに巡りあえてよかった。沖縄の人と、県外からの移住者を『チャンプルー』したメンバーなのがいい。木工は歴史ある伝統工芸ではないんです。それで沖縄には組合がないから、若手作家の活動や情報交換が盛んなんですよね」
家族の存在が作品の温かみに
現在、テーブルやイスなどの家具から、木の皿やスプーンなどの小物まで、注文があればなんでも製作するが、今後はオリジナル家具を増やしていきたいと語る。
「幼児・子ども向けの家具がつくりたいんです。海外の子ども部屋にあるようなカラフルでかわいい家具を」
ハンドメイド感覚の子ども用家具や雑貨には、安全な塗料を使用している。小学1年と幼稚園の子どもがいる誠司さんは、安全性への気配りは欠かさない。
また、11月にオープンする沖縄県立博物館・美術館から依頼され、沖縄の野菜図鑑を製作したばかり。子どもたちが見て野菜の名前と形を覚える木製の図鑑で、温かみのある作品に仕上がった。

阿部さんが手づくりした自宅脇の工房前で、奥さんの愛香さんと長男の汀くんと一緒に。藍染めののれんと工房名が入った木の看板が目印 |
そして誠司さんは、自宅兼工房に改装できそうな一軒家を見つける。ちょうど外国人住宅の空きが出たと不動産屋から連絡が入り、現在の場所に引っ越した。ブルーシートで屋根の雨漏りをしのいだり、大きな作業台をつくったりして、3年越しで手作りの工房を完成させた。
「自営業なので、子どもの世話ができるのがいいですね。もちろん、刃物を扱っているので、工房は立ち入り禁止だと子どもにいいきかせていますが」
全国を飛び回っていた誠司さんが、結婚のために移住し、那覇に根を張った。「家族の存在が、木工の創作意欲とイマジネーションにつながっています」と話すその顔は、夫として、父親として、木工職人として、頼もしく見えた。

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| 工房内部は、阿部さん自身が使いやすいように、棚や作業台を配置している |
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