森林を守る担い手不足を解消する切り札として国がスタートさせた「緑の雇用事業」は、林業経験のない人にも就業に必要な技術を基礎から教えてくれる画期的な制度だ。ここ数年私は、「緑の研修生」と呼ばれる、この制度を利用した新規就業者の応援役を務めている。具体的には、『MIDORI PRESS』という広報誌やTBSラジオの番組『ちょっと森林のはなし』の取材で全国各地の森林を回り、現場で彼らの声を聞くと共に、ウェブ上に連載しているコラムでその様子を紹介したり、また毎冬開催される緑の担い手を目指す人の就業フェア「森林の仕事ガイダンス」で研修生によるトークショーのナビゲーターを務めたり……(詳しくは、『iju info』第8号に詳しく紹介されているので、お手持ちの方は、ぜひご一読ください)。
いずれ子育てをするようになったら田舎に移住し、可能な限り自給自足に近い暮らしをしたいと考えている私にとって、「緑の研修生」として一足先に夢を実現させた彼らは、貴重な現場の声を聞かせてくれる「先輩」でもある。私自身、仲間とともに有機栽培での米づくりをしたり、都心のビルの屋上で猫の額ほどの菜園を作ったりして将来に備えているつもりなのだが、彼らはすでに生活をかけた決断をし、森林の担い手としての生活を実践しているのだ。「林業は決して楽な仕事じゃない」と口をそろえながらも、仕事や生活についていきいきと語ってくれる姿は、なんとも輝いて見える。もちろん、取材に応じてくれるのは、それぞれの事業体が推薦してくれた「優秀な人材」だろうから、その陰には、理想とのギャップに夢破れていく人もいるだろうし、輝いて見える彼らにだってさまざまな悩みはあるはずだ。それでも、人間関係や収入、安全性といったさまざまな現実の課題に取り組みながらも、移住・転職の決断を後悔することなく、新たな人生を切り拓いて力強く歩んでいる秘訣はなにか、これまでの研修生とのやりとりから、私なりに探ってみたい。
まず大切なのは、「志がはっきりしている」こと。なにをするにも通じることだが、例えば、同じ時間、同じ労働をしたとしても、目的意識がない人とある人、つまり「やれと言われたからやった」人と、「目的のためにやった」人とでは、まるで疲労感が違うだろう。この志とする目的は、安易に実現できるものよりは、人生をかけて達成できるかできないかといった壮大なもの、というか、奥の深いものであった方がよいと思う。例えば、「田舎暮らしがしたい」というだけであれば、移住した瞬間に、その目的は達成されてしまい、そこから先、進むべき目標を見失うことになる。ちなみに、私の場合は、「できる限り、自然と調和した生活をする」というのが目標だ。移住は手段のひとつなので、移住が実現したらしたで、その先いくらでも理想を追い求めていくことができ、おそらく一生「これで終わり」ということはない。
ついで大事なのが、「問題意識を持って行動する」こと。「郷に入っては郷に従え」の精神は、新しい世界で円滑な人間関係を築いていくには大切な前提だろうけれど、単にそれで終わってしまうのでは、「無難な存在」でしかない。研修生やそのOBと話をしていると、キラリと光る人はみんな問題意識を持っている。例えば、「切り捨てられている間伐材がもったいないから、有効活用できないか」とか、「古い人が山にタバコをポイ捨てしているのをどうにかできないか」とか「この道具はこういうところを改良したら、もっと使い心地がよくなるんじゃないか」とか……。そして、こうした問題意識をもとに、間伐材でチェーンソーアートの作品を作ったり、実験を重ねて道具を改良したり、なにかしら自分で考え、創造し、行動を起こしている。行動すればさまざまなハードルに直面するものだけれど、柔軟に思考を巡らせ、ひとつずつそれを乗り越えることで、本人の世界はさらに広がっていく。と同時に、そうした存在によって、その人を取り巻く社会も活性化されていくのだ。
森林には今、こうした研修生によって新しい風が吹いている。もちろん、古いものがすべていけないと言っているのではない。そもそも、伝統的な日本人の暮らしは、森林の恵みから衣食住を得られることに対する感謝と自然に対する畏敬の念に満ちたものだった。今でも、大きな木を倒すときや、年の始まりなど、古い林家は、山の神への挨拶を欠かさない。こうした日本の美しい文化、伝統は、未来へと確実に受け継いでいくべきだし、環境問題が世界的な関心事になっている今こそ、日本人、中でも農林漁業に携わる人たちは、先人たちから脈々と受け継がれてきたこうした文化にもっと誇りに思っていいだろう。緑の研修生や、研修生を目指す人たちには、こうした古き良き伝統の担い手になると共に、単なる新たな一労働力としてだけでなく、停滞していた空気に酸素を注ぎ込むごとく、柔軟な発想で日本の中山間地域に元気を取り戻す、そんな存在になってほしいと思う。私もいつか、そうした存在のひとりになることを願いながら。 |