ここから始まるI・J・Uターン
体当たりで飛び込んだ新天地
本物のぜいたくを知る
愛媛県西予市
辻本 明文さん 京子さん
農地を購入し、名実ともに農家に
「死ぬまでに一度は銀世界っていうのを見てみたいね」
普段なにげなく口にしていた夢は、あっけなく現実になった。城川町(現・西予市)に来るまで、南国のイメージが強い四国に雪が降るとは辻本明文さん(58歳)、京子さん(54歳)はまったく想像していなかった。2005年の大雪は、休むことなく降り積もり、トマトのハウスをきしませた。懸命な雪かきも暖房も追いつかず、結局、骨組みの鉄パイプを守るため、泣く泣くビニールを切って雪を落とした。
辻本さん夫妻が城川町で就農したのは、02年。それまでは奈良県に住んでいた。3代続いた縫製会社が倒産。長男と3人、産業廃棄物処理の会社で2年間働きながら借金を返済したが、毎日同じ仕事の繰り返しに疲れてしまった。
「雇われる側になってみて、仕事のやりがいがものすごく重要なことなんだとわかり、なにかほかに自分たちができる仕事がないかともがいていた」
京子さんにひらめいたのが、農業だった。
「前々から、老後は農的暮らしをしたいとあこがれていた」
一歩踏み出すきっかけになったは、娘の結婚だった。これで夫婦二人、新たな挑戦ができると、安心した。
切り開かれた山の斜面に並ぶトマトのハウス。夏場の高温障害が出ない標高500m以上の高冷地はトマト栽培に適している
「娘は、当時おつきあいしてた男性がいたんですけど、うちはこんなになって(倒産して)しまったし、別れるなら今のうちにていうたら、『お嬢さんの力になります』っていうてくれてね」
そんな折り、愛媛に移住した知人から、「近くにトマトの空きハウスがあるからそこで農業をしてみては」と紹介があった。京子さんは、「すぐやれるっていうのが魅力で、『もうやるしかないよ、行こう』と夫をたき付け」、さっそく下見に訪ねた。「全然違う環境で、なにか新しいことに挑戦してみるのもいいかなと」と明文さん。決心したら早い。1週間で荷物をまとめ、引っ越してしまった。とはいえ、農業経験どころか、野菜1本育てたことがない二人。まさにゼロからのスタートだった。
3年前から、水田を借りてコメづくりも始めた
しみじみ感じた人の温かさ
幸い、下見に来た時に知り合ったトマト農家のハウスを借りることができ、栽培の指導もしてもらえることになった。苗を買い、植え、芽かきをし…すべてがぶっつけ本番≠セ。「なにもわからないから、教えられたとおりにやるだけ。不満も疑問の余地もない。でも、それがよかった」と、初年度は1800本(10アール弱)の苗から、13d収穫した。明文さんは「この経験が、続けてみようかなという自信になった」という。「土から赤いトマトができる。私にしたらものすごい出来事で、最初になった実は永久保存しておきたいくらいだった」と、京子さんはその時の感動を語る。
しかし翌年は、台風による強風でハウスが倒壊。定植したばかりの苗に覆いかぶさった。ぼうぜんと立ち尽くす二人に、近所の農家が道具を持って駆け付けてくれた。
「そんなしてたらあかん。はよやれいうて、皆して手伝ってくれたんです。あの時は人のありがたみというのを、しみじみ感じました」
突然やってきた「よそ者」を遠巻きに見ていた住民たちは、二人が真剣にトマトづくりに取り組む姿をちゃんと見て、認めてくれていたのだ。
3年目は、地元農家の人が奔走してくれたおかげで、離農する人からハウス10棟を借り、トマト苗を一気に3700本に増やした。翌年には、その農地をハウスをはじめ、トラクターや防除ロボット、コンテナなど含め、5年ローンで購入することに。また、水田も借りて、コメづくりも始めた。
「ご飯なんて、そんな味に違いなんてないと思ってきたけど、減農薬・天日干しでつくったお米がものすごくおいしくてびっくりした」
※トマトは、ハウス内での栽培と並行して、堆肥づくり(9 〜 10 月および2 月ごろ)や、堆肥のすきこみ(3 月)、元肥入れ(4 月)など翌年に向けて畑の準備を行う。
※ウドは1本に仕立て、7月から8月にかけて芯どめする。また、おおよそ4年ごとに植え替える。
昨年植えたウド。枯れたら根元から刈り取り、籾殻(もみがら)を敷いて軟白化する。この春に初めての収穫を迎える
ウドを導入し周年栽培へ第一歩
返済金もあり、トマトの売上げだけでは生計を立てることは難しい。農閑期は、明文さんは林業の仕事、京子さんはミカン収穫のアルバイトをしている。「集落の集まりでもなんでも、できるだけ顔を出すようにしています。出てったらそれだけ情報が入りますから」と京子さん。取材を受けた地元テレビ局の番組を見て、隣の高知県から訪ねてきてくれたトマト農家が、「時期がトマトとちょうどずれるので、ウドをやってみては」と勧めてくれた。「苗を譲ってくださるいうんで、さっそく車飛ばして取りにいきました。遠かったあ」と明文さんは笑う。「この春から収穫できる予定。比較的軽い労力でできそうなので、もし成功したら、地域のお年寄りも誘って、ウドを拡大できないかなと考えている」と京子さんは言葉を弾ませる。
家から畑までは4km余り。もう、すっかり通い慣れた道だ
お金じゃない幸せがここにある
借金の返済が終わる来年度までは、アルバイト生活が続きそうだが、いずれは農業一本でやっていくのが夢という二人。そのために、トマトとウドと組み合わせられるもう一つの作物を模索中だ。
「作物は裏切らない。手をかけたらかけただけ、さぼったらそれなりの結果が出る。自分たちがつくった野菜をお金出して買ってくださると思うと、粗末なものをつくってはいけないなと思う」(京子さん)
「これでもかと思って頑張っても、毎年なにかが起こる。農業の奥深さを痛感している。今後の課題は土づくり」(明文さん)
二人は、もう立派な農業者の顔付きだ。
近くに病院がない不安や、買い物の不便さは確かにある。「ここでは買い物に行く必要性を感じない。野菜はあるし、山菜やキノコもある。魚は夫が釣ってきたのを干物にしているし、お菓子もまわりのお母さんたちに教えてもらってつくるのがおいしいし」と、京子さんは実に楽しそうだ。
農業を始めて一番変わったことはとたずねると、「以前は100%、お金があることがぜいたくと思っていたけど、本当のぜいたくは違うということがわかった。物質的には大変だけど、これまでの人生で今が一番ぜいたく」という答えが返ってきた。
【No.9(2008年春号)掲載】
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