ここから始まるI・J・Uターン

すべての水産業の原点は漁業現場にあり

長崎県雲仙市 橘湾東部漁業協同組合所属
天洋丸船主 竹下 千代太さん

竹下さんが船主を勤める天洋丸では、2年前から漁業研修生の受け入れを開始。「研修生には周りからも認められる一人前の漁師になってもらいたい」との思いで、人材育成にも力を入れる

 「自分の子どもには漁師を継がせたくない」周囲ではそんな声をよく耳にしますが、ほかの地域でも同じじゃないかな。漁師は肉体的にきつい仕事だし、労働時間も長い。その上、今はどこも経営が苦しい。

 私が営む天洋丸は、中型巻き網漁業。7隻で船団を組み、煮干の原料となるカタクチイワシを捕っています。午後7時に出港したら、夜を徹して魚を追い、魚群を囲んで網を入れ、運搬船に積み込んで水揚げします。多い時で一晩に6回この作業を繰り返し、漁を終えて港に戻るのは、サラリーマンだったら会社に向かう午前8時ごろ。そこから、後片付けをしてようやく帰宅できるのがお昼前です。それで、午後3時には船に氷を積み、7時には再び出港する。
  昔に比べれば、今は随分と出漁日数が減りました。とくに今年は燃油が高騰したため経費を考えて出漁を控えたので、100日を切りそうです。それでも、船の手入れ、網仕事など漁の準備が必要だから、労働時間は長くなる。


カタクチイワシ
 カタクチイワシの資源量は、ここ数年、比較的安定しているといわれています。しかし、私たちの漁業許可範囲は橘湾内に限られていて、湾内にイワシが回遊してくるのを待たなければならないため、年によって漁獲量の変動の割合が大きい。
  それに、すべてが煮干の原料にできるわけじゃないんですよ。成長して脂肪含有量が増えると、加工に手間がかかったり、加工後の酸化が早まったりするから、加工経費がかかる上、煮干の品質も悪くなります。その場合は、凍結用として主に養殖魚の餌向けに出荷されるのですが、値段が安いので大量に捕らないと採算が合わない。だから、漁獲量が見込めないと、天候が良くても「出漁しない」という判断を下します。出漁したらかえって赤字になりますからね。
  煮干にしても、全体の消費量が減ったり量販店での価格競争に陥ったりして、価格は低迷しています。労働時間の割に収入が少ないとなれば、親として後を継がせたくない気持ちはわかりますよ。うちの親父も同じでしたから。


天洋丸HP http://tenyo-maru.com
 私は、高校卒業後、地元を離れて東京水産大学に進学したのですが、水産系を選んだのは偏差値の都合であって、親の後を継ぐためではありません。その流れで大手水産会社に入社し、陸上で大型巻き網船の管理業務や、加工食品の営業を担当していました。仕事はやりがいがあったし、おもしろかったですよ。
  そんなサラリーマンとして安定した生活を捨ててまで漁師になった理由は「すべての水産業の原点(基本)は漁業現場であり、その地域での社会生活そのものである」と感じ始めたからです。漁業現場の最先端で働く漁師こそ、自分がやりたい仕事だと気付きました。それに、故郷であるこの地域が好きだったこともある。海が好き、魚が好きというだけじゃ、沿岸漁業の漁師になるのは難しい。まずは、そこで生活をし、その地域を好きにならないと続きませんね。


天洋丸は長崎半島と島原半島に囲まれた橘湾内を漁場としている
 妻子とともにUターンして、天洋丸を継いだのが7年前のことです。親の後を継いだ時、漁業の現状は十分わかっているつもりでしたが、実際は想像以上に厳しかったですね。高齢化、人手不足に始まり、魚価安、漁船・漁具の老朽化、大漁時における煮干の加工処理能力の限界など、とにかく問題が山積している。そんななかで「とりあえず、できることから始めなければ」と、情報発信のためのホームページを立ち上げました。
  ホームページには天洋丸や煮干の紹介だけでなく、輸入魚と国産魚の食べ比べ、「今日の水揚」情報なども掲載。「生産者を身近に感じてもらえれば」くらいの気持ちだったのに、これが思いがけない方向へ発展することに!

乗組員が力を合わせて網を引き上げる巻き網漁。協調性が重視される
  地元ではカタクチイワシのことを「エタリ」と呼び、昔からエタリの塩辛を保存食としてつくっていました。このエタリの塩辛を多くの人に知ってもらおうとホームページを通じて普及活動を始めたことがきっかけとなり、イタリアに本部を置くスローフード協会の「味の箱舟」として認定されたのです。「味の箱舟」とは希少な食材を守る国際的なプロジェクトで、食材の世界遺産とも例えられています。この認定を受けたことで、「エタリの塩辛愛好会」を結成し、生産者の意識もかなり変化しました。
  さらに新しく誕生した「雲仙ブランド」に認定され、雲仙市のバックアップを受けながら、地域特産品として多くの人から認知されるようになりました。エタリの塩辛をとおして、橘湾産カタクチイワシのイメージアップにつなげていこうと、PRに努めています。
  煮干についても鮮魚と同じで鮮度が大切だから漁獲日、加工日、パック日を記載した生産証明を添付したものを、インターネットなどを利用して販売しています。いまのところ販売量はさほど多くありませんが、少しずつリピーターも付くようになってきたかな。今後に期待したいですね。


カタクチイワシの水揚げ
 橘湾で操業する巻き網漁業者は、ピーク時の27カ統(船団)から現在では5カ統にまで減少しています。このままでは存続が危ぶまれることから、2年前に巻き網漁業者の集まりとして「橘湾まき網漁業いさり火保存会(通称:いさり火会)」を立ち上げました。
  いさり火会では、大学教授を招いての「漁船・漁具・漁法の改良開発に向けた学習会」「漁獲物の付加価値創出に向けた勉強会」「担い手育成に向けた漁業研修生の受け入れや体験漁業の実施」などを行っています。個人ではできないことも、皆の知恵を出し合って、試行錯誤しながらトライしています。
  海に出ればライバルとなる漁業者同士ですが、陸に上がればともに地元漁業を守り、発展させたいと願う味方です。有益な情報があれば共有して、全体が良い方向に向かうために役立てたい。ダメもとでも可能性があるならチャレンジしてみるし、うまくいけば皆が後に続いてきます。誰かが音頭を取って始めれば、きっとなにかが変わる。


脂の乗ったカタクチイワシを漬け込んでつくる「エタリの塩辛」
 漁師は先の予測がつきにくい職業です。それは、天候だけでなく、海の環境や魚の生態、人々の生活習慣、国の施策、国際情勢などが複雑に絡んでいるから。今は漁業にとって苦しい時代ですが、いつか必ず良い時代がやってくるはずです。漁業が人々にとって欠かせない、重要な産業であることはいうまでもありません。とくに、私たち日本人は古くから魚を食べる習慣をもち、海とは切っても切れない関係です。
  魚を捕り、海を守る漁師。その職業に対する自信と誇りをもって、苦しい時代を仲間とともに乗り越え未来につなげていくために、これからも挑戦を続けていきたいと考えています。

プロフィール
竹下 千代太(たけした・ちよた)
1964年、長崎県南串山町(現・雲仙市)生まれ。東京水産大学(現・東京海洋大学)漁業生産工学科及び専攻科卒業後、大洋漁業株式会社(現・マルハ株式会社)に入社。2001年にUターンで天洋丸の漁師になり、同じ東京水産大学出身の奥様との二人三脚で地元漁業発展に尽力している。橘湾東部漁業協同組合代表監事、橘湾まき網漁業いさり火保存会副会長、エタリの塩辛愛好会理事も務める。
【No9(2008年春号)掲載】
 
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