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目指すは一級品のみ
紀州備長炭の炭焼きに


和歌山県田辺市
太田 康寛さん 源野 博丘さん

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研修生第1号の太田さん。田辺で10年 間炭を焼き続けている
  備長炭は、ウバメガシを炭材とする白炭で、料理に最適な高級品。和歌山県田辺市は、その一大産地として知られている。白炭と、ナラやクヌギを炭材とする黒炭との大きな違いは、炭焼きの最終工程で、窯口を少しずつ広げて空気を入れ、最後に大きく開いて大量の空気を送り込む「精錬」と呼ばれる作業だという。このとき窯から出される炭は、眩いばかりの黄金色に輝く─。
「窯出しの時の炭の色に惚れました」
  そう語るのは、太田康寛さん(54歳)。田辺市が97年度から実施している「紀州備長炭後継者育成事業」の研修生、第1号である。

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真っ白な灰に包まれた紀州備長炭。たたくと「キーン」と金属音がする
焼き方はひたすら自分で考える
  太田さんが初めて田辺市を訪れたのは、10年前。東京でコンピューター関係の会社に勤めていたが、40代で退職。当時は農業を始めようと、就農できる場所を探していた。知人のつてで田辺市周辺を回っていたとき、紀州備長炭記念公園内にある備長炭の炭焼き窯を見学。2週間に1度しか見ることのできない、窯出しのシーンに「たまたま」遭遇した。
  心は農業から一気に炭焼きへ─。窓口の市役所で面接を受け、公園内の研修施設に寝泊りしながら、「炭焼き」になるための研修を受けることにした。
  師匠は、地元で備長炭を焼き続けてきた4人の炭焼きさんたち。研修といっても、焼き方を手取り足取り教えてもらえるわけではない。
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窯のそばに構えた、源野さんの新居
  「師匠は『わしらは昔からこうやってきた』というだけ。だから、見ながら覚えていく。見よう見まねでやってみる。あれこれ指図されるより、自分にはそんなやり方が向いていたと思います」
  初めて炭を焼いたのは、研修が始まって1カ月後。できた炭はバラバラだったり、ひび割れだらけだったり。失敗の連続だったが、「なぜそうなったのか、どうすればもっとよくなるのか」─誰かに教えを請うわけではなく、ひたすら自分で考え、改良を重ねた。
  研修を始めて1年半。太田さんは炭焼きさんの仲介で、土地を借り、自宅と炭窯を築いて、独立を果たす。材料の耐火レンガやチェーンソーなど、備品の購入代金が約100万円。窯づくりは、地元の炭焼きさんたちが、ほぼ無報酬で手伝ってくれた。そうしてできた窯で、どんな炭が焼けたのか?
  「1回目で窯をあっためる。2〜4回目はバッチリ。ところが5〜7回目はダメでした。調子に乗ってはいけない」
炭窯は絶えず変化していく。たとえ失敗しても、自分の考えで改良を加え、うまく焼けたときが、一番楽しい。
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紀州備長炭記念公園内にある炭焼き窯。2週間に1度、窯出しの様子を見ることができる。研修生はここに隣接する施設に寝泊りし、炭焼きの技を学ぶ

一心不乱に焼き続ける
  源野博丘さん(56歳)は、二人目の研修生。研修前に先輩の太田さんを訪ねた時、「しんどいからやめとけ」とアドバイスされた。そういわれると、かえってやってみたくなるのが、源野さんの性分。50歳で大阪の印刷会社を退職。二人の子どもたちが就職し、肩の荷が下りた。元々、第一次産業に関心があったので、なかでも興味をもっていた炭焼きになろうと決意。妻の啓子さんを大阪に残し、半ば単身赴任の状態で研修を受けた。そうして独立後、田辺に自宅と窯を築いて、啓子さんを呼び寄せたものの、最初は肝心の炭がなかなか売れなかった。

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曲がったウバメガシをまっすぐにする「木ご
しらえ」

  「なんぼ焼いても一級品ができない。紀州備長炭として、売ることができなかったんです」
  当時は中国産の白炭が入り込んでいたこともあり、紀州の炭焼きに期待されるのは、一級品だけ。少しでも品質が劣ると安くなるのではなく、買ってもらえない。キャリアを問わず「二級品」などありえない。厳しい世界なのだ。
  「家を建てて、窯をつくって、退職金はなくなってくるし、そろそろ炭がお金に換わらないと…」
  その間、村の人たちが「ペットショップで消臭用にほしがっている」「お寺の建て替えがあるから、床下に置いてあげる」など、声をかけてくれた。その心遣いが、いまも忘れられない。
  焼いても売れない状態は、03年の3月から8月まで続いたが、9月から農協を通して出荷できるようになった。
  「いま思うと、とにかく一心不乱。バカのように焼き続けたのがよかった」
  後になって気付いたのは、源野さんの窯は、水はけの悪い場所にあったということ。それがどんどん焼き続けたことで窯が乾き、調子が出てきたのだ。本当に炭窯は生き物である。

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妻の啓子さんと、愛犬ヨネも移住を果たした

  現在、源野さんが出荷する備長炭の箱には、屋号の「カネ源」のマークが押されている。大阪で炭焼きになろうと決めた時につくったゴム印が、初めて日の目を見た時は感無量だった。
  田辺市の育成事業が始まって、11年が過ぎた。炭焼き歴50年、研修生の師匠でもある宮本有市さんに聞いてみた。
  「炭焼きに必要なのはなんですか?」
  「まあ、根性やね」
  山に入って炭材を切り出し、曲がった枝をまっすぐに調整する「木ごしらえ」。窯に木を入れ、焼きあがるまでに2週間。窯出し作業は、1200度に達した炭と8時間格闘する─昔も今も、決して楽な仕事ではない。研修期間中は無報酬なので生活費をはじめ、家や窯を築く資金も必要となってくる。安易な気持ちで面接を受けると、振り落とされる厳しい世界だ。それでもこの制度を利用して、田辺に三人の「炭焼き」が生まれている。

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太田さんの窯。高さが2.3m ある
源野さんの炭は、「カネ源」の判を押して出荷
【No.10(2008年初夏号)掲載】
 
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