橋善雄さん(57歳)は、満55歳を迎えた春に長年勤めた情報関連の会社を退職。茨城県の日本農業実践学園で学んだ後、2007年4月、福知山市夜久野町に飛び込んだ。
東京出身で農業とは無縁だったが、50を過ぎたころから農への思いが募った。
「会社組織のなかにいるメリット、デメリットから離れて、一度自由になってみようと思いました」
妻と2人の娘は、もろ手をあげて賛成はしなかったが「本当にやりたいなら」と理解。専業主婦だった妻は「収入がなくなる」と、図書館司書の資格を取った。
難関だったのは「どこに」就農するか。全国新規就農相談センターから京都府新規就農相談センターを紹介され、相談しながら候補を絞り込んだ。
「何度も通った別の町では親身に対応していただき家も決まっていたのですが、不勉強で農地入手や就農までの道筋がイメージできず、踏み切れませんでした」
夜久野に決めたのは、町を案内されたある日、「この茶園をお任せしたい」と非常に具体的な提示があったからだ。その陰には、地域の受け入れ戦略があった。

産地の危機を救う就農者の条件とは
キーマンは京都府中丹東農業改良普及センターの吉野育秀主任。夜久野は、高齢化で存続の危機にある茶産地の緊急対策に迫られていた。吉野さんは語る。
「茶は地域の特産とはいえ厳しい気象条件下では高収入は難しい。しかし子育て世代より上で一定の資金力があれば定着できるし希望者もいるはず。多少時間をかけてでも、人選しようと思いました」
「これは」と目をつけたのが、府の相談会で出合った橋さん。引き受け手が必要な30アールの茶園に案内した。その茶園では数十万円の収入にしかならないことを率直に話し、「そのうち茶園は増やせるし、できる限りの支援はしたい」と提案して、橋さんの気持を固めた。
すがすがしい毎日、課題は販路
昨年は、就農の「基礎体力」づくりとして、茶生産組合の手伝いや、移住以前に茨城の研究会で技術を学んだ自然薯と、特産の黒豆作りなどに挑戦してきた。自然薯と黒豆は今年も継続して取り組む。
今年1月に、府の研修制度「担い手養成実践農場整備支援事業」(2カ年)指定が決定した。対象は、30アールの茶園と20アールの畑で、小作料、茶被覆棚や農業機械のリース料などが助成される。「担い手作り後見人」は、旧夜久野町の第三セクター、やくの農業振興団の中島俊則代表取締役が引き受け、支援体制が整えられた。
振興団では、橋さんをアルバイト雇用して生計を下支えするほか、技術指導や農業機械の貸与でも支援している。また、茶栽培の技術は茶生産組合が手取り足取り指導。その上、近所の人たちは日々親身に世話を焼いてくれる。
「非常に毎日が気持いいです。収入がないのにストレスがない。一人前の農家と認められるまで10年計画でじっくりやります」
橋さんは、実にすがすがしい顔付きだ。しかし、楽観的なことばかりでもない。昨年耕した畑は川沿いのためか掘っても掘っても石が出る。秋、やっと実った黒豆は収穫直前に鹿の食害で全滅した。
「あるがままを受け止めるだけです。石ころも鹿も、別に良いも悪いもない」
ただ、独自の販路を開く必要性を痛感している。会社勤めの経験と東京での人間関係をいかし、魅力的な販売ルートをつくりたい。地域の期待でもあり、橋さんの今後の課題でもある。 |