ここから始まるI・J・Uターン

岡山県高梁市備中町
細川潤一のケース

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細川潤一、39歳。岡山県笠岡市の新興住宅地で少年時代を送り、国立の工業高等専門学校で電気を学び、海外含め従業員11万人を擁する株式会社日本電装(現・デンソー)に就職した彼がたどり着いたのは、農業だった。岡山の山間地に就農した細川は、持ち前の研究心と常識にとらわれない自由な発想で、トマト栽培の技術と経営を確立しつつある。

農業という夢から
なぜか遠ざかる選択

  細川は、幼いころから農業にあこがれ、将来は農業をしたいと思っていた。なのに、小学校の卒業文集に書いた職業は、なぜか「電車の運転手」。といって、農業をあきらめたのでも忘れたわけでもなく、高校進学では農業高校を志望した。しかし、親や教師がこぞって反対。「大学出てからでも農家になれる」との説得に、「確かに、農業高校に行かなくても農業はできるなあ」と、工業高等専門学校へ。ここを選んだ理由の第一は、「電車通学がしたかったから」。地元の高校だと、通学に電車は必要なかったのだ。もう一つは、「(農業の)次にやりたいのが電気だったから」。高等専門学校を卒業後は、愛知県の自動車部品メーカーに就職。名古屋球場に通い詰めた。履歴書にはいまも、「趣味=中日ドラゴンズの応援」と書く。

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都市に住む若者を畑に招いて交流。トマト栽培について説明する細川さん(左)

中日ドラゴンズのまちでの再会
  中日ドラゴンズに夢中になっていた細川が、改めて「農業」を意識するきっかけになったのは、中日新聞に掲載されたある記事だった。「岡山で農業を始めませんか」というコピーに引きつけられた。岡山は自分の出身地である。しかも、研修期間中、月15万円を支給してくれる。「こんなにくれるの? ええもんがあるなあ」と思った。1993年。岡山県がニューファーマー確保・育成総合支援事業(以下、ニューファーマー制度)を始めた、まさにその年。中国地方の情報が、なぜか中日新聞に載った。そしてそれが偶然目に入った。「名古屋にきてから、農業のことはまったく気にしてなかった」というのだから、人の運命はわからない。調べてみたら、就農相談会があるというので行ってみた。やっぱり岡山はいいなと思った。

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昨年、家を新築した。1500 万円、35 年のローン。大工である父が1年がかりで建ててくれた。右は妻の広美さん

背中を押してくれた妻の一言
  だが、そこですぐには飛びつかないのが細川だ。実は彼を農業に導いたのは、父方の祖父母だった。週末や夏休みになると、祖父母の農作業を手伝った。田植え、稲刈り、トマトの収穫…。「面白いとこだけ経験し、しかもおやつと昼寝も付いている。農業っていい職業だなと思った」。だがその一方で、農業の現実もちゃんとインプットされていた。農業は一人ではできない。だから、自分が農業をするなら結婚してからと、心に決めていたのだ。当時まだ交際中だった広美(35歳)に、「将来は百姓をする。それでもよかったら、結婚しよう」とプロポーズした。広美は、「はい」と返事はしたものの、「実際にするとは思っていなかった」という。
  98年春、第一子が誕生。だが、上場企業のサラリーマンは、かわいい我が子と遊ぶこともままならない。「うちは半分、母子家庭だね」という広美に、返す言葉がなかった。ふと気がつくと、入社して10年。この会社での自分の先行きも、ぼんやりと見えてきていた。そろそろ潮時か…そんな潤一の胸の内を見透かすかのように、広美がいった。「百姓するなら、子どもが小学校に上がる前に軌道に乗せておいたほうがいいんじゃないの」。気持ちがどんどん農業に傾斜し始めていた時に、妻の口から出たその一言。「よくぞタイミングよくいってくれたなと思う」。その年、中日ドラゴンズが優勝。もはや心残りもなくなった。

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自宅の目の前にトマトハウスが並ぶ。職住大接近の好条件に恵まれている

  備中町(現・高梁市)に就農したのは、「消去法」だった。岡山県のニューファーマー制度では、まず自分がどんな農業をしようとするのかを決めることが求められる。当初、細川が描いたのは、花づくり農業であった。同じ脱サラで花屋をやっている友人がいて、羽振りがよさそうに見えた。だが、花き栽培には施設等に千万円単位の投資が必要。「畜産は24時間休めない。コメはもうからなそうだし、果樹はデリケートだから性格が荒い自分には向かない」ということで残ったのが野菜。そのなかでも、「もうかるものはなにかなと考えたら、ナスかトマト」に絞られた。
  ナスなら産地は灘崎町(現・岡山市)。「まちに近くていいなあ」と思ったが、ナスは収穫が10カ月近く続くと知り、「ナスの顔をずっと見続けるのはちょっと」。で、結局トマトに。祖父母が作っていた野菜だったのも、選択に影響したかもしれない。トマトを選んだことで、就農先は必然的に備中に決まった。

3人目の親との出合い
  会社勤めを続けながら、1カ月の体験研修をこなした。受け入れ農家の中迫英典さん、貞子さん夫妻は、家探しをはじめ、その後もありとあらゆる場面で世話になり、「3人目の親のような存在」。だが、合った初っ端に、「なにしにきた。農業なんてやめとき」といわれた。もちろん、そういわれたからと、すごすご道を引き返す細川ではないが、「自分もいま、新規就農したいという人にはそういっている」という。暑いし、もうからない。それでもやるか? 相手の決意を確かめる、ジャブといったところか。
  翌2000年4月から2年間の実務研修。農家に付いてトマト栽培の基礎を学びつつ、その農家の畑3アールを借りて、実地で学んだ。また時間を見つけては、農協の選果場でアルバイトに励んだ。いまから思うと、「選果場で自分の顔を知ってもらい、いろんなトマト農家と顔なじみになれたのもよかった」。02年4月に独立。中迫さんの奔走で、16アールのハウスでスタートすることができた。しかし、独立1年目は、大量発生した尻腐れ果に泣かされた。原因は明らか、カルシウム欠乏である。
  トマト産地である備中地域では、肥料分を溶かした液を土に点滴する「養液土耕システム」栽培が多い。このシステムには1液式と2液式とがあるが、細川が就農した時点で、2液式の設備を入れている農家はなかった。だが細川は、周りが全員1液式のなか、当初から2液式装置を購入した。当面は1液式で十分かもしれないが、将来、水耕栽培や隔離栽培をする可能性もある。2液式を導入しておけば、いろんな栽培方法に対応できると考えたのだ。

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細川さんが住む集落から備中町の中心までは、つづら折りの山道が続く

新技術との格闘
  2年目。さっそくこの2液式を試してみることにした。2液目の養液には、尻腐れ予防のためカルシウムを入れた。新規参入者はもちろん、経験を積んだ農家もやっていない方法だから、誰かにノウハウを教えてもらうことはできない。農業改良普及センターや農協と相談しながら、データ収集した。この栽培実証により、細川自身が10アールあたりの単収10dどりを達成したばかりでなく、彼が築いた技術マニュアルが、新規参入者の施設である山光園に2液式を導入する先鞭を着けた。
  05年、さらに細川は、受粉に使うミツバチを、西洋オオマルハナバチから、在来種(クロマルハナバチ)に変える。これもまた、地域では誰もやっていないことだった。全国的にも西洋種有利とされているなかで、なぜあえて在来種に切り替えたのか。「ブラックバスなど外来生物による被害や生態系への影響が顕在化し、ひょっとして西洋ミツバチも問題になるのでは」と考えたのだ。読みはあたった。同年、農水省は在来種マルハナバチへの切り替え指導を開始。翌06年10月から、西洋オオマルハナバチは外来生物被害防止法により日本での農業以外での飼育が禁止された。実際に導入してみて、在来種を使いこなすには、農家側の栽培技術が問われるということも身をもって理解した。
  こうして細川は、大小さまざまなチャレンジや試行錯誤を続けてきた。自動車部品の開発という、先端技術の現場にいた彼にとって、新分野に取り組むのは、挑戦というより「楽しいこと」なのだろう。そんな彼を、脇から支えたのが、農業改良普及センターや農協の指導員たちだった。
  「就農から3年間は、なにかあればすぐに飛んできてくれる人たちがいる環境だったことは、本当に大きかった」

育てたトマトが
金になるからこそおもしろい

  細川はいう。「農業は、自分が手をかけたものの成長が目に見え、実を結び、しかもそれが自分でも食べられ、かつお金になる。お金になるからおもしろいし、本気になる」のだと。そして、飯米用にコメもつくっているが、「田んぼにイノシシが出ても気にならないのに、トマト畑に入った時は速攻で電気柵を買った」と笑う。
  昨年細川は、岡山県下の優秀な青年農業者に贈られる矢野賞を受賞した。自分の農業経営が認められたことは、うれしいし自信にもなった。だが、「まだまだ上がいる。量・質ともに、早く追いつけるように頑張らないと」。気象の影響にも負けない確固たる技術を身に付けることが目標だ。
  そしてもう一つ、細川にはかなえたい夢がある。「自分の存在をもっと知ってもらい、『あんなヤツでも百姓で生活できるのか』と思ってもらいたい。そしてここを出ていった若い人たちがUターンで帰ってきてくれたらうれしい」。備中町の中心部からでさえ13`余りある、高齢化率5割超の集落で踏ん張っている青年農業者の野望は、思いのほか人間臭いものだった。
[敬称略]

技術・経営確立期
試行錯誤で次々と新技術に挑戦。短期間に経営を確立し、2007年矢野賞に輝く



地域での出合い
中迫夫妻及び周囲の指導者に恵まれる

 


結婚が就農への一歩
「百姓になる」といってプロポーズ。第一子ができたことがきっかけとなり、本格的に就農を考え始める



農業との再会
新聞で「岡山で農業をしませんか」という記事を見て、再び農業への思いを募らせる



就職
中日ドラゴンズを応援したくて、名古屋の会社に就職。高等専門学校で学んだ電気関係の技術者として活躍する



工業高専に進学
農業高校を志望するも、周囲の反対にあい、工業高等専門学校に進学。農業とは無縁の生活



農業への目覚め
父の両親のもとで農業のおもしろさを知り、「将来は農業を」との夢を抱く

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未来への通過点─IMAの姿─
作目:トマト、水稲(自家用)
作付面積:トマト29a(雨よけ、養液土耕栽培)、水稲50a(農地はすべて借地)
農機具・生産施設など:パイプハウス、トラクター、管理機、動力噴霧器、養液土耕システム、軽トラック、ロールベーラー
農業粗収入:1,152万円(2007年)
労働力:2人
販売方法:JAびほくを通して市場出荷
経営の特徴:果敢に新たな技術を導入しながら、独立5年足らずで売上1,000万円を達成した。2002年に認定農業者に。また、自らが導入・確立した技術を地域にも還元し、新規就農者の育成にも協力している。そのほか、地元の青年農業者クラブや青年団、後継者会議、消防団等の地域活動にも積極に参加するばかりでなく、牽引役的存在にもなっている
【No10(2008年初夏号)掲載】
 
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