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農林漁業就業・ふるさと情報  Produced by NCA 全国農業会議所

夢をかなえる事で満足せず 付加価値を高める方法も追及

三重県尾鷲市 中井 恭佑さん
(34歳)漁業歴:13年

【なかい きょうすけ】大阪府出身。中学校の卒業文集に「漁師になる!」と書いた中井さん。いくつかの仕事を経て、21歳の時に大阪から早田町に移住。

今までの経験だけに頼らず
新技術を導入し改革を図る!

子どもの時におじいさんと一緒に釣りをした事はあるけれど、釣りを趣味にはしていなかった。ただ、思春期の頃にはTVに影響されたのか、「将来、マグロ漁師になる!」と決意していた中井さん。しかし、すぐに漁師の道には進まず「漁師の道に進んでも心変わりしないよう、興味のある仕事をできるだけ経験しておこう」と、しばらく地元の大阪で生活するも、人の多さや毎日の通勤、そして同じことを繰り返す日々に物足りなさが募って行く。そして21歳の時、自分は都会での生活が合わないし、やりたい事はほぼやったと考えた中井さんが向かったのは大阪のハローワークだった。
 
ハローワークで尾鷲市の定置網漁体験を知り、すぐに尾鷲市役所に電話。いくつかの定置網漁を体験させてもらった。現在勤務する早田大敷はその中の一つだ。当時の社長と意気投合した中井さんは年末の漁業体験だったのにも関わらず、正月明けには早田町での生活を始めることとなった。
 
ちなみに、漁業就業フェアを知ったのは漁業体験後のこと。一生を捧げる事を考え、他の会社や地域、漁法も見ておきたいと思いフェアに足を運んだものの、定置網漁の「何が獲れるか分からない面白さ」に惹かれていた彼の決心は揺るがなかった。
「この仕事をして10年以上になりますが、同じ1日、同じ漁はなく、毎日が常に新鮮です!」と晴れやかに語る。

↑メインの魚種はブリ。港から10分で良質な漁場に到着。

 

29歳で漁労長に就任
さまざまなアイデアで改革に着手

中井さんが移住した頃は、残念ながら他県からの移住者を「よその子」と捉える風潮が残っていたそうだ。しかし、現在の早田大敷の岩本社長が周囲に対し「今後も早田を存続させる為に、移住してきた人を地域のみんなで支える」という方針を提案。さらに岩本社長は年配乗組員が多い中、若手の中井さんを漁労長に抜擢した。
 
漁労長となった中井さんはこれまでの経験という名の勘に頼っていた漁法から、無駄や無理を減らす改革に着手。
「今までは漁労長が何を考えているか察しろ、というやり方で、命じられるまで行動できませんでした。そこで自分が漁労長になって最初に行ったことは、2カ月間の予定が書き込めるホワイトボードを導入したことです。これを見れば今日はもちろん、来週や来月までの予定が分かるようになり、各々が自ら考え、行動できるようになりました。また、ただ魚を獲って卸すのではなく、最良の鮮度で市場に卸せるよう、船上での活け締めや神経締めを取り入れて商品(魚)に『高鮮度・高品質』という付加価値を与えることができました。これは我々の収入にダイレクトに反映されるので、以前とは皆のやる気が違いますね。最近ではこの取り組みが消費者の方にも伝わったようで『せっかく買うなら美味しい早田の魚にしよう』と話しているのを聞いた時は、自分たちのやっている事は間違っていないと実感しました」と振り返る。

↑予定表を導入した事で、作業の見える化を実現。

↑毎朝4時頃には集合し、お昼前には仕事が終わる。休漁期でも雇用は維持されており、その期間は網などの様々なメンテナンスを行う。
  
他にも毎回獲れるだけ獲るのではなく、市場の需要を図りながら出荷調整を行うために生簀を設置。さらにユビキダス魚探を導入し、リアルタイムで網の様子を確認できるようにした。これにより、網を引き揚げたものの空っぽだった―という事がなくなり、燃料や氷などのコストを削減。水産庁の「儲かる漁業」の支援にも手を挙げ、従来2隻22名で行っていた漁を、現在は1隻14名で操業。従来のやり方に囚われず、漁の効率化や技術革新も積極的に取り入れている。他にも自分達のやり方が本当に正しいのか確認するため、同業他社の現場を視察させてもらうなど、中井さんの研究熱心な姿勢には頭が下がる。下から2番目に若い乗組員ながら、自分より年配のメンバーを上手く取り纏める様はまさに会社の中間管理職。気遣いや気配りが欠かせないようでもある。

「個人事業主とはちがい、やはり雇用されている安心感は大きいですね。その上でやりたいことをやらせてもらっていますが、今はまだその途中に過ぎないですね」と語るその眼差しは常に未来のなりたい自分の姿をイメージしているようだ。