石川県加賀市 河村 洋平さん
(33歳)漁業歴:3年
- 河村 洋平【かわむら ようへい】
両親が石川県出身で石川県生まれ。だが、育ったのは東京。30歳直前まで東京で生活するも、〝船に乗りたい〟という想いを実現するため、漁師に転職。
船に乗りたいという夢を
漁業就職者フェアが叶えてくれた
石川県生まれ東京育ちの河村さんは、30歳になるまで飲食業に従事していた。連日深夜までの勤務だったこともあり、余暇や趣味を楽しむ時間はほとんどなく、ただ忙しく、充実感の薄い毎日を過ごしていたそうだ。そんな日々の中、元々自然が好きで、船に乗る仕事に就きたいという想いを抱いていた河村さんは、次第に漁師への転職を意識するようになった。漁師をするなら両親の故郷がある北陸の海!とは決めたものの“どうすれば漁師になれるのか”河村さんは知識も、ツテもコネも持ち合わせていなかった。
そんな中、河村さんは全国漁業就業者確保育成センターが主催する「漁業就業者フェア」の存在を知る。東京開催の場合、約50~60の漁業者団体がブースを並べ、300~400名の就業希望者が訪れる一大イベントだ。
東京開催を待ち、淡い期待を抱きつつ会場を訪れた河村さんは現在の職場である有限会社 金城水産の網元・窪川敏治さんと出会う。そして「漁師への転職」と「石川県加賀市への移住」を決めた。
なお、河村さんは就業にあたり国の支援事業を活用した。それが「新規漁業就業者総合支援事業(現・漁業人材育成総合支援事業)」だ。体験乗船(1回)後に1年間の漁業研修を受けられるというもので、漁業経験の無い就業者にとっては“安全かつ安心な就業”が叶うありがたい支援だ。しかも研修期間中は受入機関である金城水産を通じて給料が支払われた他、操業に必要不可欠なライフジャケット、ヘルメット、合羽、手袋、長靴などの一式も支援事業から支給された。河村さんは「道具を揃えるにはかなりの出費になるので非常に助かりました。今は私が支援を受けた時よりも内容が手厚くなっているので、もっと漁師になりやすい環境が整っていますよ」と振り返る。
30歳からの就業はかなりの遅咲きなのでは?と網元の窪川さんに尋ねたところ「2つに分かれますね。学校卒業後すぐに就職するケースと、彼のように異分野から転職するケースです。前者は嫌になるとすぐ辞めてしまいますが、後者は覚悟ができているので粘り強い。実は私も移住者で、出身は東京です。弊社には移住者が何人も在籍しており、同じ境遇で仲間意識が強く、和気あいあいとした雰囲気がありますね」と語ってくれた。
時間を有効に使えるようになり
夢見ていたような生活が現実に!
河村さんの1日の生活リズムを伺うと、毎日午前3時に集合し、出漁。遅くても午前10時頃には帰港し、水揚げや選別を実施。漁獲量が少なければお昼には解散、遅くても
14時頃には解散となる。基本的に漁に出る時期は決まった休みはなく、毎朝海の状況を見て判断。冬の禁漁期は丸々1カ月間休みになることもあるので、その時には旅行などを楽しむそうだ。
漁業と聞くと肉体労働のイメージが強いのか、友人達からも「大丈夫か?」と度々聞かれたそうだが、河村さんが従事する定置網漁は機械化が進んでいて皆が思うほど力仕事は多くないとのこと。
東京で生活していた時と石川での生活の違いについては、「元々人混みが苦手だったので、それだけでも気楽になりました。田舎は不便と思われがちですが、ショッピングモールやネット通販を利用すれば東京と比べても不自由さはなく、むしろ掛かる費用(生活費など)が少ないのでこちらの方が暮らしやすいぐらいです。仕事柄朝は早いですが、仕事後に自分の余暇や趣味を楽しめる時間が増えた事がとにかくうれしくて、色々な面でゆとりのある生活を送れるようになりましたね」と語ってくれた。
今後については、「まだ具体的な将来像は描けていませんが、転職・移住したことで自分の生きる道が見えてきた気がします。まだまだ学ぶべき事はたくさんあるので経験を積みながらしっかり学び、同時に資格を取得することでできることの幅も広げていきたいですね」と、笑顔で語ってくれた。