前号、台風被害を同時進行的に描く形で筆を起こした。それから半年、台風どころでない世間の混乱の中、この原稿を書き起こそうとしている。新聞はコロナの文字に溢れ、テレビは閑散とした銀座・渋谷の風景や乗車率ゼロ%もあったという東京駅を映している。ほぼ五十日、そのニュースを、僕はある種の懐かしさを抱きつつ見ていた。
百姓になるまでの二十年間、医学書の出版社で雑誌編集に関わった。癌や免疫がテーマだった。深い意味は分からぬままに、用語を覚えねば仕事にならない。
言葉の知識だけなら医学部の学生ほどは学んだかもしれない。懐かしさを覚えたとはそういう意味である。抗原―抗体反応…人体に敵(異物)が侵入したら、それを伝える役、邪魔する役、やっつける役、人間の細胞は見事にシステム化されている。故人となられたある免疫学の大家はそれをオーケストラになぞらえた。
敵を食ってしまう細胞をマクロファージというが、僕が雑誌の仕事をしている時代の日本語訳は「貪食細胞」だった。まさに憎い敵を食い尽す
のだ。
昨年の台風で四つのビニールハウスと鶏舎が倒壊。物置として使う二階家の屋根は吹き飛び、母屋も大量に雨漏りした。
しばし呆然としたが、嘆いていてもしょうがない、動こう。倒壊したハウスの部材は折れ曲がり、絡み合い、原状復帰は大いに難儀、時間を取られた。加えて出費である。ほぼ一年分の収入が新たなハウスに消えた。
そして…神か仏かのあれは励ましであったか。市からふるさと納税の返礼に参加しないかとの誘いを受けた。思った以上の反応があった。大袈裟だが谷底から這い上がるチャンスを与えられたのである。多くの返礼品は高級な肉や魚に特化されている。僕の農法は元来、一点豪華でなく「何でも屋」。卵を含む十品以上の野菜・果物をセットとする多彩さを売りとしてきた。年間を通して品物が途切れぬよう、ふるさと納税の仕事をもらって更なる努力をせねばなるまい。
まだ氷が張り、分厚い霜の降りる一月に作業を開始した。トウモロコシ、カボチャ、トマトなど十種をポットまき。ハウスの中にトンネルを作り、トンネルは何重もの防寒。古い毛布・布団、ブルーシートを夕刻に掛け、朝に外す。
それを五十日続けた。五月も残り少なくなった今、我が無加温・原始的農法はまずまずの成果を見せようとしている。
医学書出版社に勤めていた僕だが、現在の意識と行動は違う方向にある。
驚異的な進展を遂げ、今回のコロナ禍でも絶大な力を発揮している医学に敬意を払いつつ、野菜栽培に似て我が暮らしは原始的だ。最先端の科学と接した僕が導き出した結論は人間なるべく「粗野」に生きることだった。知識や情報に、自分の目や耳や筋肉を通して得た感覚、いわば本能を重ねることだった。高度にシステム化された人間の免疫機構だが、それが充分に発揮されるには個体の強さが必要になる。根幹は食事、運動であり、精神ストレスをため込まないこと…すなわち生活のシンプルさだと気付いた。食事に手抜きをせず、農作業は鍬とスコップを使い徹底的に骨と筋肉に負荷をかける。ランニングと腹筋と懸垂を毎日やる。仕事を終えた夕刻、よく働いてくれた手足にアリガトと感謝しつつ冷えたビールを飲む。
林の向こうに落ちかけている太陽の光を受けながらカボチャの蔓を誘導する。市の広報マイクが市民に呼び掛ける。女性の声が言う。皆さん、免疫力を高めるには適度の運動、良い睡眠、バランスの取れた食事が大切です…僕は明日も懸命に働く。
そして走る。野鳥の鳴き声を耳に、透明な光や風を受けながら走る。ランニング歴五十年。走るという行為は心の毒素を抜き取る。悲観の道を遠ざけ、楽観の道を歩ませてくれる。