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農園歳時記

第16回 部長暮らす

皆さんの目にこれが触れるのは弥生。でも僕は寒さの極の中で書いている。今年の寒さは並みじゃない。荷造り仕事を終えるのは五時。それからイチゴにカバーを掛けるが、手は硬直。夕食に使うつもりで取っておいた小松菜と大根と山芋を洗って切る頃には冬の海に投げ出されたタイタニックの乗客だ。もちろんあのディカプリオと同じ三等船客。
去年のあの猛暑。そしていま「猛寒」。もしや、お天道様は、足して二で割れば「ええ塩梅じゃろに」とおっしゃるのでは。もしやこの不況でお天道様は夜の副業でも始め、本業に手抜きなさっているのでは。フン、焼酎じゃあるまいし。炭酸で割ったり、湯で割ったり。この百姓は割るのは嫌いデス。晩酌の焼酎は必ずストレートで飲む。常に「割り切れないのが人生」ってもんじゃなかったですかぁ。すみません、酔った勢いで天にツバするようなことを……。

正月早々、M君が力なくつぶやいた。「ワシ、病気だ。会社行きたくない病にかかったみたいだ」。M君はブルーベリー農家をめざしている。すでに農地の手当はすんでおり、ハウスの中で何百という苗木を育成している。その喜びが大きければ大きいほど、休日の作業が楽しければ楽しいほど、ある日突然ウツの症状が現れる。僕も半農半勤を8年続けた。正月明けの出勤は心重いものだった。なら、さっさと会社を辞めればいい。M君自身はそうしたいだろう。だが奥さんの心は違う。ほんとに農業だけで食べていけるのかしら。まだ高校生の子供がいるなら妻としての不安はなおさらだ。痩せても枯れても会社は会社。農業と違いボーナスが出る。残業手当も出る。通勤手当だって出る。百姓は軽トラで毎朝田んぼに向かっても通勤定期の支給はない。自動改札でもない。M君は妻に尻を叩かれ出勤したそうだ。

されど農業。いいもんだぜ。波長が合い、一度この放送局にチューニングした者は逃れられなくなる。そこから流れる「カントリー音楽」にしびれる。寒いだの暑いだのと表面愚痴は言うが、けっこう楽しんでいる。
イチゴの例で見てみよう。晩秋、寒気に当てた苗をトンネル・マルチで植え付ける。冬来りなば春まだ遠し。夜間は防寒カバーを掛ける。今年は厳寒ゆえに四枚だ。それを朝になったら外し、日暮れに再び掛ける。出荷の野菜を水洗いした僕の手がそこでタイタニックになるのだ。風のない日はビニールを外し、中に入って僕は蜜蜂にもなる。授粉をする。これが百日に及ぶ。
イチゴのプロは当然ながら重油で温度を上げる。夜間の照明もつける。こっちはイチゴ農家じゃないから出来具合はそこそこでいい。太陽熱だけで作るところがスリリングなのだ。露地栽培より二カ月早く、紅梅を眺めながら僕は甘い香りを口に押し込む。
がんばれば食える。これが百姓の基本と基盤である。それをとりあえず「実利」としよう。この実利と共に工夫と努力の精神的アドバンテージがある。「工夫」は脳を刺激、心を躍らせ、ハイにする。M君が正月明け「会社行きたくない病」にかかったのは、それだけ休日の農作業が楽しかったという逆証明だ。彼はほんとは健康なのだ。

食うために人は働く。働かなくちゃ食えないから人は働く。同じ働くでも、自分の裁量、自分の工夫ですべてを動かせたらなんと愉快であろうか。それができるのは会社なら部長クラスだろう。百姓の日々は収入面じゃ比較のしようもないゆえ同音異義語、「部長暮らす」とでも今はしておこう。
それにしても今日も寒いぜ。と言いながら僕はよく働く。大寒の声を聞きつつトンネルにキャベツをまいた。トンネルの中にさらに防寒を施しカボチャもまいた。
食う楽しみ。食える喜び。鼻水たらしつつも心にゃホカロン(♪)。花咲き乱れる春の幻が眼前にある。ビニールを掛けて促成したアスパラガスと玉葱の朝食。香り立つ珈琲。BGMがモーツァルトとくれば、これぞ「部長暮らす」というものじゃありませんか。照れながら男がつぶやく一月の朝……。

●プロフィール
中村顕治【なかむら・けんじ】昭和22年山口県生まれ。33歳で築50年の農家跡に移住。現在は千葉県八街市在住。典型的な多品種少量栽培を実践。チャボを庭に放任飼育する。ブログ「食うために生きる─脱サラ百姓日記」
http://blogs.yahoo.co.jp/tamakenjijibaba