愛知県豊田市 山本 圭吾さん
林業歴:6年
- 【やまもと けいご】愛知県名古屋市出身。大学卒業後、海外生活を送る。帰国後に本格的に料理を学び、飲食業に身を置く。34歳の時に足助地区への移住を決意。妻の規光衣さん、眞之介くんと晴くんの元気いっぱいな兄弟と4人家族で暮らしている。
静かな環境での暮らしを求め
都会暮らし・飲食業から一変
愛知県のほぼ中央に位置し、豊かな自然に囲まれた豊田市足助(あすけ)地区は、巴川と足助川が合流する付近には紅葉で有名な香嵐渓があり、紅葉の季節には多くの観光客が訪れる。山本圭吾さんはそんな足助に居を構え、豊田市森林組合に所属して林業に従事している。
同県名古屋市で生まれ育った山本さんは、大学卒業後にオーストラリアへ渡航し、現地の文化・人間に触れながら視野を広げていった。帰国後、学生時代から携わってきた飲食業の経験から料理を本格的に学び、31歳の時に地元名古屋市に念願のオーガニックレストランを開く。
「この頃は林業に就業するとは全く予想していませんでした。飲食業が天職だと思っていましたから」と振り返る。だが、独立して3年目、経営の難しさから、次のステップへの大きなチャレンジとして田舎への移住を決意する。
「山に移住した友人の畑仕事を手伝ったりして生活スタイルに触れたことがあり、山での暮らしに好印象を持ったことが移住のきっかけとなりました」。
友人がいたこともあり、移住先候補としてまず足助を訪れた。そこで偶然にも好物件を発見。すぐに市の空き家バンクに問い合わせて入居できると分かるやいなや、平成24年2月に足助に飛び込んだ。すぐに仕事探しを始めたが、足助での仕事は数も内容も限られてしまう。そんな時、森林組合が求人募集していることを聞き、林業の道へ進むこととなった。
「田舎暮らしをするにあたり“男のたしなみ”として自分で木の1本でも切れないとダメだな、という考えがありました。それならば仕事として木の切り方を覚えるのが一番安全かつ早いんじゃないかと思い、林業への就職を決めました」。
足助での新居と仕事を決め、山本家の新生活がスタートした。
足助に来て6年目だが現在の家は2軒目となる。最初の家には4年ほど住んでいたが、大家さんの事情により急きょ家を出なくてはならなくなってしまった。
現在の家との出会いは仕事の縁だった。近所の家に仕事で訪れた際、事情を知っていたその家の主人から現在の大家さんを紹介してもらい、今の家に引っ越すことができた。
新居は6LDK+納戸+土間とかなり広く、日当たりにも恵まれた好立地。敷地面積は400坪もあり、広い庭を生かして自分たちの畑を始められるなど、まさに理想的な物件であった。
室内は友人に薪ストーブを設置してもらい、畳であったリビングの床をフローリングに張り替えるなど、住みやすく手を加えている。伸び伸びと走り回る子ども達の姿からも住環境の良さがうかがえる。
「この辺りは人の流入が少ない地域ですが、排他的なことはなく、本当に良くしてもらっています」。
庭仕事をしていれば通りかかったご近所さんから「やってるね!」と声を掛けられたり、夏場は畑で採れた野菜を食べきれないくらい分けてくれるという。
足助へ飛び込んできて、家や仕事、人間関係など「自分は“縁”に恵まているな」と感じることが多いと話す。山本さんの気さくでまじめな人柄が良縁を呼び込んでいる。
アボリカルチャーの魅力に引かれ
木を切る楽しさを知った
「アボリカルチャー」(樹芸学)に基づく伐採方法はロープやハーネスを使って木に登り、上から少しずつ枝や幹などを切り、ロープを使って切った木を下ろすというもの。木のすぐ横に建物がある等、周辺に倒すことができない場合に用いられる。足助に来るまで林業の仕事を全く知らなかったという山本さんだが、作業をする姿、道具など一つ一つの魅力にひと目で心を奪われたという。
「大変ですが楽しく仕事をしています。技術はウソをつかないので、難しい作業に挑戦して技術を身に付けたい」と言う。
「5年この土地に居てようやく地域の人たちにも認めてもらい、ここで死ぬまで住んでいくんだろうという覚悟はあります」。と田舎暮らしでの苦労話を語りながらも「足助で働いて、お金を稼ぎ、足助でお金を使えるのがすごくいいですね」と語る山本さん。その表情からは、忙しくも充実した日々を送っていることが自然と伝わってくる。