6月半ばから梅雨明けごろまで咲くフェイジョアの花。雨の中での百姓の奮闘と歓喜をこの花は知っている。
50種類、300本ほどの果樹がわが庭と畑を埋める。うちフェイジョアは7本。今が花の盛り。近ごろは柑橘類に凝っている。朝のランニングで汗を流した後、盆栽老人の心境になってそれを眺める。
新規就農者としてこの村に移住したのは昭和60年。腹を空かせた海育ちの少年は、卵や果物がたらふく食える暮らしを夢見た。ゆえに、移住の夢がかなうと同時にチャボを飼い、柿やスモモやアンズの木を植えた。
移住当初は実利を追った。柿やスモモが売り物になり、自分の口腹を満たしてくれることに大いなる喜びを得た。今もその延長線上にあるが、還暦を迎えようとする現在、果樹に寄せる思いはやや変化した。
「私のストレス解消法」はショッピング。女性がそう語るのをよく耳にする。長い間ピンとこなかった僕が50代半ばに至って初めて知った、晩酌の酔いにも負けない心地よさ。それが果樹の苗木の衝動買いというものだった。
靴が50足あるとか、ハンドバッグが30個あるとか、そんな女性がテレビに出る。金を払って何かを手に入れたとき、人間の脳内に快感物質が分泌されるのだと思う。その快感を記憶し、人は再びそれに浸りたいと願う。
通販で買った品が山と積まれ、今ではほとんど粗大ゴミ、なんて笑い話も聞く。
果樹はその点、ゴミと称されることはない。むしろ新たな利益、文字通りの「果実」を生む。花も充分に楽しめる。夢がある。年末ジャンボ宝くじを数枚買って大晦日の抽選を待つ、あれに似たワクワク感。
百姓の暮らしにもストレスはある。この原稿は梅雨のさなかに書いているが、終日雨天という場合、濡れながらの8時間労働はやはりストレスである。
四季の果物(現在だとブルーベリー)と卵、それに10ないし15種類の野菜をパックにして宅配便で送る。これが僕の仕事。始めて20年。ここ数年はインターネットでも注文を受ける。雨だから休むということはない。台風でも、契約している宅配便のトラックが来る限り収穫・箱詰め作業はする。
わが農園を訪れる人でフェイジョアを言い当てる人はいない。花の周囲に群がる派手な雄しべが枯れると、剣状の雌しべが燭台のような形となって現れる。晩秋に収穫される実はアケビか若いバナナのようだ。半熱帯性の常緑樹だが耐寒性はかなりある。
20年前に植えたのはマンモスとトライアンフという品種だったが、受粉・結実にムラがあった。クーリッジは自家受粉が可能で花粉も多いと知り、買った。それから3年、大果で糖度も高いというアポロ、ウィキトウ、オパールスターを買い足した。
午後5時、宅配便に荷物を引き渡す。そのままでは寒いので濡れたシャツだけ着替えてホームセンターに向かう。ビニールや菜種粕やカキガラ石灰を買うという理由は一応ある。だが、甘い誘惑に導く自分が一方にいる。「こんなに頑張ったのだから自分で自分にご褒美をあげよう…」。
どこかで聞いたせりふを僕は口にする。ホームセンターにも最近はかなり特殊な品種が並ぶ。種苗会社のカタログで見たものが売り場にあると僕は胸の内でパチッと指を鳴らし、カートにそっと乗せる。
この「パチッ!」をここ3年で、イチジクには8回、ブルーベリーには40回も鳴らしてしまった。宅配パックの荒利は一日平均8000円だが、それがそっくり苗木に化けてしまうことも月に何度かある。5年前に地植えにするスペースがすでになくなっている。だから10号鉢から100リットルの大型鉢までをフル動員。大型鉢は何千円かする。稼ぎはそれでさらに消え、狭い通路に一輪車を通すのも容易ではない。
ホームセンターから帰宅したらひと風呂浴び、酒と肴を用意する。食卓には買ったばかりの苗木が並んでいる。
大型鉢に植え替えるのは明日である。苗木購入の初夜。小さなポットに窮屈そうに納まった彼女たちと僕は必ず一緒に過ごす。蛍光灯の明かりの下で酒に酔い、巻きつけられた品種ラベルを愛撫しながら彼女たちの魅力に酔う。何年か後の、花咲く日、結実の日を夢見て、ますます僕は酔っ払う。