一月が年の最初の月という感じがあまりせず。年末大掃除をしないから。大晦日までやった発送作業の仕事残渣が転がったままだから。ソファに寝転び、テレビの正月番組を見ていたら生理が狂う。朝イチのランニング、チャボの世話、畑仕事、すべて平常。元旦も鍬を持つ。のんべのくせに正月だからと朝酒を飲むのが嫌い。サンマは目黒、酔うのは夜、女性は美人と、そうに決まっている。
ではいつなのか、わが正月は。降り積もった栗の枯葉の下から顔を出すふきのとうが、教えてくれよう。さあ一年の始まりだヨ。
こう書いて思い出される風景がある。故郷祝島では旧正月にも餅をついた。その餅を囲炉裏で焼く。暖房器具はなく、寒い冬の起きがけ、ツギの当たった股引姿で股間を暖めるようにして囲炉裏に向かい、餅が焼けるのを待つ。その旧正月の餅がカビたら水餅にして、その水餅がなくなるころにはエンドウの花が咲き始め、水ぬるみ、春の足音が聞こえた。
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百姓25年。世の約束事から新しい年の始まりを知る部分が、サラリーマン時代に比べて明らかに少ない。近所の人に会えば新年の挨拶はする。しかし体の芯の細胞はまだ「旧年依然」。
百姓を長く続けると百姓の体も植物化するらしい。光合成のメカニズムに支配されるようになるらしい。わが正月は早咲きの梅が咲き、一番乗りでやってきた蜜蜂が菜花の蕾に転がる姿を目にする頃だ。イチゴのトンネルに顔を突っ込み、眼鏡が曇り、顔が熱い空気に包まれる立春の頃、僕の細胞が新芽を吹く。
金のこと暮らしのこと、何かと騒がしいこのごろ。この不況と不興は誰のせいか。不景気になったらさっさと首を切られる労働者の悲しみは、同じ労働者としてよくわかる。一方で、会社も家庭と同じと考えれば、収入が減ったら支出を抑える、その結果としての人員削減、それもまたわかる。
会社が存在するということを前提として世の中は成り立っているのか。もし会社というものがなかったらどうするか。お父さんは山へ柴と猪を狩りに行き、お母さんは苫屋の前に開いた畑に種をまき、子どもらは木の実を摘むか。
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年明け早々62歳になった。自分では日々をツッパリ通しているが、知能はゆるみ、足腰はほどけつつある。僕は先ごろ知ったのだった。国語学者大野晋氏に、名詞の「時」とは、ものがゆるみ、ほどけ、流動し、とけていく。動詞の「解ける」と語源を同じくするという仮説があることを。
犬好きの62歳はまた犬を飼ってみたいと願うことがある。目に入れても痛くないような小犬じゃなく、大きいやつ。以前飼っていたセントバーナードやシェパードみたいなやつ。この願いを消してしまうのが「時」である。
わが年齢は案外人から教えられるもの。小松菜を束ねながら師走の畑できまって歌う「津軽海峡冬景色」。あの名曲を残して阿久悠氏は逝った。語りの口調も論説も端正で好き。欠かさず寝床で見たニュース23の筑紫哲也氏もまた逝った。筑紫氏は同じ干支だった。
実成りまで10年以上という果樹の栽培を幾度か体験してきたゆえに、12年という歳月がさして長くないことを僕は知る。これから犬を飼って、最後まで世話してやれるのかい?「時」が写真のような朝雲の上からささやく。
弱気の虫と強気の態度が体内に混在する、それが還暦過ぎた男の共通項かも。このツッパリ百姓は強気の態度七割で三割の弱気の虫を抑え込み、生きようとしている。そこに明るい希望があるかも。
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新しい年に僕は誓う。食べることをおろそかにすまいと。次の亥年まで壮健で生きるため、三食に手抜きをすまいと。しっかり食う、しっかり働く。そして美女との酒も、しっかり楽しむ。それが生きるということ。
前回僕は少々茶化して書いたが、生きるために食う─これが人々の暮らしのやはり理想であろう。ただ、きちんと生きるためにはきちんと食べる必要がある。国民がきちんと食べられるためには食糧供給の土台をきちんと築く必要がある。海の向こうからやってきた金融不況は、国民の「生きるために食う」を土台で支える第一次産業、それを静かに見直すチャンスかも知れない。