5月、ふるさと祝島に帰ってきた。母の50回忌。5回の乗り換えで往復18時間。島での滞在は17時間で、帰宅後もしばらく体が揺れた。以前は9時過ぎまで畑仕事をし、正午の飛行機で成田を発つ。帰国後も旅行バッグを玄関に放り投げ、直ちに畑。そんな旅も平気だった。
ふるさとの印象はまず「まだら模様」。人が住む家は近代化されて都会と変わらず、壁の色は白。一方に、雨戸が締まり、朽ちるにまかせた家がある。その色は茶もしくは黒。ご多分に漏れず故郷も限界集落である。
それでも時代の波はやってくる。海岸から山に通ずる道は広く舗装され、子供時代には見たこともない軽トラやバイクが走る。そしてNTTの鉄塔。写真のように、島には平地がなく、急峻な斜面に石を積み上げ畑を作っているが、そこに携帯電話用の鉄塔が立つのを見たとき、はるかな時の流れを知った。僕の子供の頃は郵便局にしか電話がなかった。
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しかしなんと言っても、ふるさとの変化を強く感じたのは、都会で見る最近の菜園ブームがそこにもあることだった。島に向かう船の中でナスやピーマンの苗が入った箱を抱く老人を見た。島のあちこちでタマネギ、ニンジン、トマトが植えられた小さな畑を見た。草は生えておらず、よく手入れされている。定植されたばかりらしいカボチャの苗には防寒キャップがかぶせてあった。
法事の席で一緒だった人は、それはあくまで実益だと言った。島で買う野菜は高い。みんな頑張って家計の足しにしているのだと。なるほどそれはあるかもしれない。でも百姓としての僕の嗅覚は違うものを感じた。
昔も家計の足しとしての菜園はあった。でも姿が違う。いま僕が見る島の人々の菜園は美しく整っている。野菜の隣にはランやバラが咲き、大きな木は育てられないからだろう、果樹を盆栽仕立てにする人もいた。これは「楽しみ」としての野菜作りの匂いだ。心にゆとりが生じた結果だと僕は考えた。
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人間の体には誰にも百姓遺伝子なるものがひそんでいる─これは従来からの僕の考え。ただ、その遺伝子は、ある種のウイルスがふだんは細胞の奥に潜伏し、何かの事情でもって顕在化するのに似ている。百姓遺伝子が顕在化するのは、僕の全くの独断ではあるが、第1に、人が単純に幸せになったとき、第2に、その人の人生において何か危機が生じたとき、第3に、自分を表現するための手段として使おうとするとき。
最近人づてに、新規就農した若い夫婦が離農し、都会に戻った話を聞いた。夫婦は熱心に取り組み、良い野菜を作っていたという。ただ農協出荷だけでは生活が成り立たない、かつ田舎の人間関係に疲れた。夫婦の友人は、金銭面より人間関係の方に離農の主たる原因があると言っていた。
ああもったいない。2人は幸せであったから農業を始めたか。人生における危機感からか。あるいは自己表現か。僕は知らないが、脱都会百姓の先輩として、はっきりもったいないと思った。せっかく離れた都会に戻る夫婦の切なさ、無念さはいかばかりか。
この話を伝えた人は言う。「2人はあまりにも田舎を美化しすぎていた、田舎に溶け込もうと努力しすぎた」と。僕はこの表現に大きく頷き、思った。今後も数多く展開されるであろう新規就農を成功させるための、これは重要なキーワードではなかろうかと。
田舎の暮らしを大いに美化し、先住者と濃密な人間関係を持つことが農村生活の喜びであると言う人がいる。僕はそれに疑問符を打つ。新規就農とは金銭面での生活を成り立たせるためであり、精神の喜びを感じるものでなくてはならない。都会でも同じだが、途切れもない付き合いは人を疲れさせ、ときには本来の目的達成を邪魔する。
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僕は村の先住者にお願いしたい。新規就農者にプレッシャーを与えないでほしいと。ほっておけばいい。人の助けなしでは満足に耕作を成しえない者は未熟、自分で工夫しろヨと冷たく突き放してもいい。そして新規就農者に僕は言いたい。人との付き合いは暮らしの1割でよい。エネルギーのほとんどは耕作技術の向上にまわしなさい。昔の徒弟制度で親方は手取り足取り教えることはなかった。弟子は親方の技術を盗み見て一人前になった。
上司の酒やカラオケに付き合う部下は受けがよく、出世もする。それと同じことが新規就農者にも求められたら都会の暮らしと変わりがない。農村での勤務評定はどこまでも耕作技術でなければいけない。
不細工だが可愛いペットを「ブサカワ」とか言うらしい。それをもじって僕は言う。新規就農を希望するあなたの将来は「クルタノ」なのだと。はっきり言って農業の日々は苦しい。夕刻5時に送り出す荷物には卵を含め十数種が入る。雨天順延はない。梅雨寒にも靴をグジュグジュいわせながら荷作りする。梅雨が明けたら今度は40度の熱燗地獄畑である。
でも楽しい部分は間違いなくある。農業を自己表現の手段と考えれば雨ニモマケズ、夏の暑さニモマケズ、生きる手応えは確実に存在する。百姓になってから幸せになりました……いつかあなたがそう言って微笑む日を「クルタノ」の先輩である僕は待っている。