公園の木々でクリスマスのイルミネーションがもう輝いてるわ、きれいよ―。東京に住む友人が便りをくれたのは十月のカレンダーがまだ2日ほど残っている時だった。へえ、さすが都会は生活のスピードが違うなあ。つぶやくうちに月が替わり、そして夏日になった。霜月というのに僕はシャツ一枚で働いた。大汗をかいた。その奇妙な気分も束の間で、首をすくめる寒さが到来した。
夕刻から強い雨に北風。明けて今朝は青空ではあるが寒気はそのまま残っている。大根を洗う手が冷たい。おやつにもいだ柿の実が、口にも腹にも冷え冷えとする。夏日から冬日。見事な変身。人も野菜も面食らう。それでも僕の体は変わりなく、よく動き、しっかり働く。
この原稿が誌面になるのは1月8日と編集部から聞く。発行翌日に僕は63歳だ。そのことがふと「近未来」を想わせる。これから師走になり、クリスマスとなり、紅白歌合戦を聴き、新しい年がやってきて、ひとつ齢を重ねる。世の中はどう変わっているか。
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新しい政権への風当たりがけっこう強い。ダムのこと、飛行場のこと、農家への戸別補償のこと、高速道路無料化のこと。それが野党からだけでなく、選挙では応援する側だった人からもなされることに僕はちょっと苦笑する。4人家族だって、今度の連休どこへ行こうか、なに食べようかで全員一致の即決は難しい。1億の民をすべて満足させるアイデアなんてあるはずがない。文句を言うのは早すぎる。父親に代わって家業を継いだ息子をしばらく見守ってあげなさいヨ。隠居した親父は口出ししない方が商売でも農業でもうまく行くと言うではないか。
「ともかく変化した、これまでとは違う」今度の政権交代の最大の意味はそこにある。ただし僕の言いたいことは政治とか思想とかと全く関係がない。人間はどこかで違う空気に触れ、異なる風景に出会うことも必要なのだ。たとえ経済的にはプラスマイナス変わりないとしても、心に新しい風が吹き込まれる。新しい風は思わぬところで新しい知恵を生み、これまで見えなかったものが見える。脳細胞が活性化する。まずいのは人生の万事が澱むこと。
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僕の前に、いま、風は冷たいが真っ青な空がある。この空を、都会のどこかで見上げながら変化を願う人がいる。会社員から農林漁業に転進したい…国家の大変化の傍らで、個人の暮らしの変革をも考える人がいる。
その変革に向かってすぐさま彼が一歩を踏み出すか、逡巡のまま長い時を費やすか。違いはどこにあるか。案外それは「軽率」か「慎重」か、小学校の担任教師が保護者宛の通信欄に書いていた性格診断程度のことでしかないと今の僕は思う。僕は間違いなく「けそけそ」の子だった。ふるさと祝島では落ち着きのない軽率行動をけそけそと言う。僕のけそけそは大人になっても消えなかった。
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24歳。陸の孤島と呼ばれた公団住宅に僕は住む。「農耕」にめざめる。団地近くに畑を買う。27歳。信州の山奥に今度は3500坪の山林を買う。なんてこともない、ふたつとも失敗。畑は手付金を払ってから素人が農地を買うのはダメと知る。それを解約した後での信州の物件は、見事インチキに引っかかった。不動産業の免許もない男の甘言につられた。こっちの方は相手が姿をくらましたのでキャンセルは出来ず、クソッと意地になって、まだ歩けもしない子を背負って山を登り、手斧とノコギリで8畳1間の小屋を作って数年頑張った。でも長続きしなかった。
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失敗は成功の味の素。ふたつの失敗からはるかな歳月がたった今、これでいいのだ、けそけそでよかったのだと僕は思う。今の暮らしは失敗を肥やしとして得られた。変わることに躊躇してはならない。変革を望むなら失敗を恐れてはいけない。ただし、なるべく変わらないでいたいことも一方にある。それは日々の体調であり、体力だ。農林業への転進をせっかく果たしたというのに病気で断念するとなっては悔しい。
サラリーマン時代、会社の昼休み、真夏でも10キロ以上を走り、一リットルの牛乳を飲んで午後の仕事にかかった。それが今の、炎天下に8時間働いても熱中症にならないという僕の体力を作っている。そのことを、若き変革希望者のキミには伝えておこう。
空の青さが消えた。白い雲も消えた。
太陽は西に傾き、チャボたちは就寝前の腹ごしらえをする。今年はみかんが豊作。味も良い。西日に輝くみかんの実は、飾りつけが不要、かつ食べられる。僕の聖夜のイルミネーションである。