人はいずれ土に還る―。家庭菜園は大いなるブームという。貸し出される
市民農園は急増し、メーカーの野菜苗も消毒スプレーも大幅に売上が伸び、小型の耕運機は予想をはるかに超える売れ行きと聞く。喜ばしい。
人体には農耕の遺伝子が予め組み込まれているとも言われるが、よく聞けば昨今の社会事情もあるようだ。跡継ぎのいない農家の畑は荒れる。草を生やすくらいならタダ同然で貸し出してもいい。その一方で不況のあおりから、少しでも家計の足しにしようと野菜作りに精を出す人も増えている。それやこれやで市民農園が盛況ということでもあるらしい。
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野菜作りはたしかに面白い。僕の持論は「農業は最もエキサイティングなスポーツ」であるが、おまけとしてカボチャやトウモロコシがもらえる、そんなスポーツ競技はない。もしかしてジムのランニングマシンを水車みたいな形とし、会員みな玄米持参、精米すれば、つきたて美味なるごはんも食べられる、ついでに発電装置も付ければ経済効果は大。そう考えることもあるが、特許出願はまだのようだし、やっぱり汗して、楽しんで、おまけの景品までもらえるというスポーツは畑仕事だけかも知れない。
ただ本家スポーツがハードな練習や筋トレでもってなされるように、農業もまた甘い果実ばかりとはいかない。苦難あって「結果」がある。ある経済記事だと家庭菜園を始めた人の四割が1年以内にギブアップするらしい。おまけの景品ばかりに目が行き、辛い練習には耐えられない「選手」だったのかも知れない。
ふだんの練習がキツければキツイほど、得られた果実は甘い。休憩時間に吹く風が汗まみれの肌に心地よい。このことは、長い歳月でわが身体を通し初めて知る。
僕は草取りから畝立て天地返しまでみな手作業。足腰強健でないといけないが、とりわけ活躍するのは十本の指か。酷使される我が手、それをここでじっと見る。梅雨末期、高温と湿気で爪はふやける。草に削られ、のこぎり刃みたいになる。
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農を楽しむ―。後の果実をより甘く、後で吹かれる風をより心地よくするため、作業をハードにする。2時間ごとに遊びの時を持つ。愛猫トラが退屈しのぎにやって来れば土の上で抱き合いおしゃべりしよう。チャボもまた来る。トラほどに会話能力はない。でも自分の名前くらいは覚える。イチロー、大チャン、イチバン、ニバン、タカコにミホ。呼べば返事する。ちょっと困るのは打ち起こす土から出る虫を鍬の刃先でじっと待つことか。そんなに寄るな、危ない。串焼きだぞ、焼き鳥だぞ。しかしチャボたち、この言葉には理解が及ばない。
楽しみはもうひとつ、写真。栽培履歴を記録するという実利もあるが、ほとんど遊び。デジカメ三台。雨の日でも、これだと思う被写体に出会うとすぐ使えるよう野菜桶でふたして畑に置く。カメラを手に、そこらを巡る。巡りながら現地調達でおやつを口に入れる。梅雨から夏にかけてはイチゴ、クワの実、ブルーベリー、ラズベリー、スモモ。目一杯の練習と汗の「結果」がここにある。僕の果物は野菜ほどには金にならない。でも果樹栽培それ自体が大いなる娯楽。
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これから農業に転進したいと願う人たちへ―。自分はどれだけ「それ」が好きなのか、一度よく自問してみよう。野球でもサッカーでも、バカがつくほど好きならばキツイ練習に耐えられる。耐えればいつの日か、栄冠の時、妻や夫とハイタッチする時が、きっとやってくる。