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農園歳時記

第22回 百姓と体力

いずれ農林業に転進したい――そう考えるアナタは、いま何歳だろうか。僕はこの地に家と土地を買い、移り住んだとき三十七歳だった。しばらくサラリーマンと兼業、百姓として出発したのは四十歳だった。新年早々、六十七歳になる。やはりトシ取ったかなあと思うこともあり、オレもまだいけるじゃないかと自信が持てる場面もけっこうある。
例えばこの写真の場面がそうである。高さ五m近い柿の木。それに僕は右手でノコギリを持ってよじ登る。親の遺言が「柿の木にだけは登るな」だったという逸話もあるほど脆い木質だが、枝が折れて落下したことはない。木登りに必要なのは握力、腕力、腹筋、加えて全身のバランス感覚だが、僕はまだこれら条件を満たしているということかも知れない。

村の道を走っているのは警察に追われて逃げるドロボーか変人だけだ――自分もランナーで、東京は嫌いと田舎で暮らすある作家が書いているのを読んだのはかなり昔のこと。思わず笑ったが、今の僕はドロボーではなく変人だろうか。農作業で疲れた上にランニングするなんてと不思議がられる。
細かいことを言えば、農作業で使う筋肉とランニングで使うそれとはだいぶ違う。これとは別に、走るという行為は心の問題とも絡む。めぐり来る季節の中で、四季折々の光や風に身を任せる。そのとき、ヒトという名の動物は動物としての本能を蘇らせ、同時に、おそらく動物にはないであろう複雑な思考を深めてゆく。
ランニングではなく自転車を走らせる朝も週に二度くらいある。ここでも細かいことを言えば、ランニングとサイクリングでは同じ脚でも使う筋肉が違うのだ。しかし、一番の理由は気分を変えたい、朝トレのモチベーションを僕は維持したい。最高時速五十キロで走れる自転車には風を真っ二つに切るような爽快感がある。木登りに必要なバランス感覚の養成に役立ち、自動車の運転感覚にも大きくプラスする。
今年の天候は難易度で言えば最高のランクだったろう。猛暑日が連続し、激しい雨が降り、台風に見舞われた。猛暑、豪雨、台風で泣くのはまず野菜だが、人間もラクじゃない。台風前日には風の被害を少しでも減らしたいと、支柱を立て、縛り、土を盛った。翌日には、風雨に叩かれ、土に埋まったネギや人参の救出に多くの時間とエネルギーを費やした。

秋が深まる頃、僕は毎日、山芋を掘る。長さ七十cmの芋を取り出すのに自分の体が半分埋まるほどの穴が出来る。さて芋の先端はどっちに向かって伸びているか。それを確認するため逆さまになる。その時この小さな体の百姓は小さな哲学者になっている。
いかなる職業でも根本は同じだが、とりわけ天候とじかに向き合う農林業においては肉体の「恒常性維持機能」が重要だろう。暑かろうが寒かろうが、雨に濡れようが、変わらぬ活動能力を保つことが自然相手の仕事には欠かせず、それはやがて平凡な人間の幸せにつながる。肉体だけでなく精神も同じ。気持ちが落ち込む、滅入る、そういった場面が少なく、フラットな心を保つことこそが、日々の暮らしを堅実に、楽しくさせる。
冬時間の今、荷物を宅配業者に渡すのは五時。僕はヤマモモの木での懸垂二百回をすませ村の墓地に向かう。一気に二百回ではなく仕事で使った道具をひとつ片付けるごとに十五回やる。片付け作業がインターバルになる。元は百姓という仕事に避け難い腰曲がりの矯正が目的だったが、ただぶら下がっているのはつまらない。それで懸垂になった。

墓地には三十mほどの坂道がある。快調にダッシュできる日もあり、そうでない日もある。ともあれそれで汗をかく。狙いは風呂上がりの晩酌がグレードアップすること。眠りの質が向上すること。かくして僕は思う。心と体は自転車の前後輪みたいなものかと。ふたつの車輪は相互に依存し、影響し合う。前向きの心は肉体の稼働率を高め、稼働率の良い肉体は気持ちを明るくする。

アナタは何歳だろうか。夢の実現のために日々鍛錬しておくとよい。健康な心身でもって人生の転進を図り、その転進でもって更なる心身のすこやかさが得られる暮らしとなるよう、僕は祈る。

●プロフィール
中村顕治【なかむら・けんじ】昭和22年山口県生まれ。33歳で築50年の農家跡に移住。現在は千葉県八街市在住。典型的な多品種少量栽培を実践。チャボを庭に放任飼育する。ブログ「食うために生きる─脱サラ百姓日記」
http://blogs.yahoo.co.jp/tamakenjijibaba