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農園歳時記

第29回 心と体

部屋正月で古希となった。七十まで生きるは古来希なり。でも平成の今、七十歳はありふれた老人。その古希を記念したわけでもないが、二月、市民マラソン大会に出た。五十歳以上十キロの部。五十四分で二十七位。僕は毎朝七キロ走る。そのトシなら立派なものですヨとほめてくれる人もいるが当人はチョッピリ不満。三十代半ば、十キロは三十四分、フルマラソンも三時間を切った。歳月は容赦ない…。

筆者僕の畑は五反歩。北側は竹林、東と西は山林。機械はない。深く耕す必要のある大根も牛蒡も道具はスコップと鍬。篠竹や雑木は三キロ近くある分厚い鍬で退治する。肩、肘、手首に慢性的な痛みはあるが不快でなく、仕事に支障もない。チェーンソーと草刈り機もない。草はスコップで削り取る。直径四十センチくらいの木ならノコギリで切れる。切った木は灰を作るため焚き火の現場まで肩に担ぐ。それで常に腰に痛みはあるが、ギックリ腰になったことはない。

どうして機械を使わないか。メカに弱いから。免許を取って三十年。昨年ラジエターが壊れ、初めてボンネットを開けた。近所の友人にボンネットを開いて留める長い金具の使い方からして教わるという体たらくだった。

丸太を運ぶ筆者鍬とスコップだけで三十何年。単にメカに弱いという理由だけではない。僕の「百姓志願」は古い時代への回帰願望だった。六十年前、同級生の農家宅に機械はなかった。庭先には鶏がいて、母屋の裏には豚や牛。子供心に思った、いいなあ、楽しそう…。農薬を使わず、肥料は鶏糞と落ち葉と木灰。この農法も立派な思想あってのことでなく、昔の農家を真似してみたかっただけ。そして知った。たいていのことは手作業で可能ということを。毎日手作業を続けていると体力は消耗ではなく増強する。

いちご手作業といえば屋根もそう。三十年前、地震で屋根瓦が壊れた。毎年、入梅前にメンテナンス。二十キロの土嚢を抱いて脚立から屋根に飛び移る。傾斜のきつい屋根を、転ばぬよう、滑らぬよう、コンクリの入ったバケツを持って伝い歩く。ウン、まだいける。ただし出来栄えはひどい。そばにいる女性がその屋根の有様を悲しみ、肩をすくめる。僕は強がりを言う。なに、人も家も見た目ではないぞ。つまらぬ強がりだが自分の暮らしは自分の力と工夫で守る。それが存外、楽しく面白い。
我が家は築三十六年。耐震性を増すため壁を補強、なんとかもたしてきた。そしてまた強がり。家なんて雨風しのげればいいのさ。そうはいっても日々の暮らしに潤いは必要だ。一の潤いのため十働く。このバランスが僕は好き。不器用を自認する男がその潤いを求めてノコギリを手にする。タイトルわきの写真。東向きの窓を耐震補強ついでに山小屋風にと目論む。外に花鉢を置く台、内にステンドグラスを置く台。
畑仕事を終える冬なら五時、夏なら七時、車のタイヤに両足を挟み腹筋を二百。まだ陽がある時は腹筋しつつ夕刊を読む。次にヤマモモの木で懸垂を二百。百姓は腰の曲がりが不可避。目的は腰伸ばしだったがついでに懸垂も始めた。わが姿は場末の踊り子みたいか。懸垂二十回やるごとに作業着を一枚脱ぐ。真冬は八枚くらい着ていて、靴下を脱ぐ頃には合計二百回。最後の二十回はパンツ姿だ。

畑をたがやすこれが皆さんの目に触れる頃は盛夏。僕は上半身裸で鍬を持つ。帽子、日除けタオルなど遮蔽物が嫌い。紫外線?シミが出来る?それがどうした。お天道様をそんなに悪く言っちゃいけない。我らに大いなる恵みをくれる偉大な味方なのだから。
「移住」は人生のビッグイベントだ。僕がそうであったように人生予期せぬ事が起こる。でも悲観が過ぎてはダメ。トラブルに遭遇して一番悪いのは心が腐ることだ。野菜果樹を問わず根腐れが最も怖い。枝や葉が少々枯れても立ち直れるが、根が腐ってはアウト。まあなんとかなるサ。この楽観がよく動く肉体へ導く。健全なる肉体が軽やかな精神をもたらす…その好循環。心と体は見事に、強く、関わりあっている。

●プロフィール
中村顕治【なかむら・けんじ】昭和22年山口県生まれ。33歳で築50年の農家跡に移住。現在は千葉県八街市在住。典型的な多品種少量栽培を実践。チャボを庭に放任飼育する。ブログ「食うために生きる─脱サラ百姓日記」
http://blogs.yahoo.co.jp/tamakenjijibaba