この連載は42回目の今号が最終回である。連載を始めてどれだけの歳月が過ぎたのか。1回目を書いた僕はまだ50代だったはずである。東京での勤めをしながらの農的生活が6年、会社勤めを辞めて農業に進んでから37年。振り返ればいろんなことがあった。スタートから10年、農業だけでは生活が成り立たず、仕出し弁当の配達や英語塾とのダブルワーク、がむしゃらな日々だった。そして、どうにか軌道に乗ったぞ、なんとか農業一本で食えるようになったぞ……そう思いきや、台風、大雨、酷暑、地震……。ビニールハウスが吹き飛び、倉庫の屋根が剝がれ、母屋っも激しく雨漏り。自然の圧力に苦しめられた。
しかし、心が折れるということはなかった、逆境に強い、そう言うと自分ぼめが過ぎるが、わが唯一の取柄、それはくじけない、なんとかなるさ、目前の出来事にすぐ立ち向かえることだ。それに何より、外で体を動かすこと、農業が好きであること、これが心が折れなかった理由であろうかと思う。
そういえば最近、「ゆるブラック」という言葉を僕は知った、ブラック企業とは言うまでもなく、イケナイ会社のことだ。対してゆるブラックとは、仕事はラク、残業もない、上司もうるさいことを言わず優しい。なんとも素晴らしい。上司のパワハラに苦しみ、それが農業への転身につながった僕は、いいじゃないかと思うが、今の若い人の気持ちは違うらしい。あえて今よりきびしい転職を望み、ひいては移住をも考える。先ごろ、その移住を実現した一人の女性の言葉が僕の胸に響いた。「外が暑かろうが寒かろうが関係ない快適な四角い箱の中で今日も明日もずっとパソコンに向かって……でも生きている手応えがなかったんです。こんなところ、もういいか、そう思ったのです……」僕はその言葉に頷いた。キビシイけれど心が満ちる。そういう仕事に出会えたら人間幸せだ。僕の場合は農業だった。
どなたもそうであったろうが、今年の夏は酷暑との戦いだった。畑仕事もキツイが、空気が流動する畑よりももっとキツイのはランチ時の35度という室温。でもエアコンなしで乗り切った。食欲も落ちなかった。人間はなんとか耐えた。しかし白菜、キャベツ、ブロッコリー、レタス、カリフラワーの苗は暑さで生育せず、重ねて不運なことに人参は発芽直後に激しい雨に打たれてしまった。その苦境をなんとか挽回したい。写真のように、僕は10月に入ってから11月半ばの今日まで、畑にライトを灯して連日の夜勤を続けている。藪蚊の攻撃がすごい。暗いから何かに足を取られる、畝間の細かい草を取るため移動のたびライトの場所を変えねばならない。夜勤手当なんぞ出ない……でも、これが意外と楽しかった。生きている、元気で働けている、その手応えである。これをやれば風呂上りのビールがうまいぞ。その期待からでもある。
「移住」という言葉は、今やすっかり世間に定着したかの感がある。それは人勢を大きく転換する。先ほど書いたように、我が人生、苦労の連続であった。が、後悔したことはない。豊かな光、真っ青な空、白い雲、赤や黄色に色づいた果物。そんな風景の下でトコトン働く、汗を流す、雑念なんぞ生じない。昨今、世間にあふれるらしい嫉妬、中傷、不安、抑鬱。それらに惑わされずに済む、それが移住における百姓道であろう。
みなさん長いことありがとう、読者に、編集部の方々に、さらには紙面構成と印刷を担当された丸井工文社の方々にも厚くお礼を申し上げる。みなさんの今後の活躍と健勝を祈る。僕は少なくともあと5年、現役の百姓でいる。