不器用なくせ工作が好き。熱が入ると止まらない。そんな子供だった。太陽光発電もその一つか。五年前、ソーラーパネル、バッテリー、インバーターのセットを買った。初心者向けのちゃちなセットだった。そいつが僕の心に火を付けた。以後二百万円超をはたいた。失敗もあった。24ボルトのバッテリーに考え事をしていて12ボルトのインバーターをつなぎ爆発。水道ポンプを長時間使ってコントローラーが燃焼・・・。でも失敗から学ぶのが人生だ。今では人に教えてやれるほどの技量がある。起床後、ヒヨコの世話をし、ランニングし、朝食とする。パンを焼く。ポットで湯を沸かす、珈琲をいれる、テレビをつける、パソコンをONする、扇風機を回す・・・全てが太陽光発電からの電気。冷蔵庫三つ、ウナギとドジョウのいる水槽の酸素ポンプ、大豆モヤシ製造機は終夜稼働している。太陽は偉大。野菜を育ててくれるのみならず人間の生活も支えてくれるのだから。
電力会社からの先月請求額1916円。毎月この額なら嬉しいが。畑の作物に影響なきよう果樹の隙間に点々と設置した五十枚のパネルが春から夏、枝葉でふさがれる。日照の少ない梅雨時。僅かな晴れ間も無駄にすまい。光を遮ぎる枝葉を払ってパネルの角度調整に励む。六月から電気代が大幅に上がる。電力各社の原燃料費はこの二年で円安の影響もあり三倍に膨らんだという。火力発電の割合が高い日本。CO2排出量が先進国でトップはちょっと耳の痛い話だが、高温多雨、温暖化の影響はさらに進み、じき今年も猛暑がやって来る。電気代が気になる。でもエアコンなしには暮らせない・・・。我々の生活は飛躍的に進歩した。たった六十数年前、テレビ、冷蔵庫、扇風機さえなかった。今はスマホひとつで自宅の遠隔管理ができる、扉を開けずとも冷蔵庫の中身が確認できる、らしいことに僕は驚く。
「海の掃除屋」と呼ばれるオオグソクムシの話を天声人語で読んだのは五月のことだった。死んだ鯨などが暗い深海に沈んでくるとひたすら食べる。生きるのに必要なエネルギー六年分を一回の食事でまかない、後は断食して無駄なエネルギーを消費せず。オオグソクムシの研究者は言う。「考えさせられる生き様です。人間は異質です。巨人のようにエネルギーを使い、地球に負荷をかけている」。この言葉を受けて天声人語の筆者は記す。地球上でもっとも激しくエネルギーを使っている生き物は人類である。食事からトイレまで、その暮らしは電気などの大量消費に支えられている・・・。たぶんトシのせいだろう。温暖化で多発する大規模な山火事。国際紛争で空高く黒煙を上げる燃料タンク。地球の呻き声が僕の耳に届くのだ。これ以上いじめるなよ地球を、そう思う。
不器用なくせ工作が好き。加えて我が性質はへそ曲がりなことでもあるか。前にも書いた。エアコンがない。石油ストーブもスマホもない。熱帯夜は太陽光発電で得た電気で扇風機を回し、氷の張る冬の夜は尻に電気座布団を当ててしのぐ。うちわと湯たんぽで暮らしていた昔を想えばこれでも立派なものさ。人間の体は便利さ不便さ、どっちにもたやすく慣れる。不思議なことではないか。
太陽光発電で思い出したこと。会社の休みに通って来る研修生がいる。将来、自分の腕で暮らしていけるようになりたい、指導をお願いしたい。五十代の彼女の意識は高い。同じ志を持つ人達と横の連絡を取り、農業分野での著名人の講演なども聴きに行くという。頼んだ作業は手早く丁寧、冷たい雨もいとわずよく働く。そんな彼女は野菜作りのみならず太陽光発電にも関心があると言った。
新型コロナの五類移行で在宅ワークが再考されている。モニター越しでは同僚とのリレイションがいまいち、やはりデスクを並べての仕事がいい。そんな意見もあるようだが、満員電車と無関係だった二年余りも悪くなかったのではあるまいか。かつて往復五時間という長距離通勤を経験した今の僕は在宅ワークの先人かも。玄関を出たすぐそこが職場。昔の通勤時間がそっくり畑仕事に使えて夏の実働十一時間。
ソーラーパネルにかぶさったキウイの枝を切りながら考える。エネルギー資源と食糧の多くを海外に頼る日本。これ以上便利さを求めるのはどうなのか。過剰な便利さは人間を弱体化させる。不便さは体力を向上させる。熱中症にもインフルエンザにも無縁で後期高齢者になったへそ曲がり老人は、仕事の合間、青い空を見上げ、クワの実を口に押し込みながら独りつぶやく。消費エネルギー削減が地球の汚染を減らす。不便さに耐える日常が人間の体力を向上させ、医療費を減らす。一石三鳥、喜ばしいことじゃあないか・・・。