島根県吉賀町 長谷川慎さん 友紀さん
●島根県吉賀町公認移住交流ポータルサイト
●吉賀町移住者のブログ
慎さん=手ぬぐいのシン
友紀さん=糸紡ぎのユキ
「縁側で田んぼと山を見て、ボーっとできる空間をもてたらいいな、と思って移住してきたんですよ。せかせかしないで、最低限の収入で生活できればいいんです」
そう語るのは、島根県西端の町、吉賀町で暮らす長谷川慎さん(44歳)。横浜で農業土木の仕事をしていた。40歳になるまでに人生の第二ステージを切り拓きたいと考え、移住先を求めて家族とともに日本一周の旅に出た。求めていた移住先は、水がきれいな町。「水は、生物の源」だから、水がきれいな町で家族と過ごしたいという想いがあった。そして、たどりついたのが、名水百選に選ばれた高津川が流れる吉賀町だった。
「吉賀に移り住んで、毎日、新米を食べているのかと思うほど、美味しくお米が炊けるんですよ」
長谷川さん家族は、妻の友紀さん(38歳)、子ども2人の4人暮らし。現在は、米とクリの生産、狩猟のほか、農作物直売の運転、草刈り、鶏舎の清掃などのアルバイトをこなす。
現在は移住3年目。当初は、町の移住者専用の住宅に住み、1年間、農業法人や農家で研修を受けた。その後、集落の方々の協力で民家と農地を借りて現在に至っている。
「無い物は、作る」
長谷川家の暮らし
2010年は、米作りに初挑戦だったにもかかわらず、「米・食味分析鑑定コンクール国際大会」で金賞を受賞した。うれしかったが、地域の方から「田んぼに草が多かったね」といわれた。田舎では、地域のやり方を尊重することが大切…と、今年は、除草に精を出した。
移住をするということは、収入の基盤や人間関係を一から作り上げていくことになる。苦労をともなうが、その分得られるものも大きい。「私の場合は家族と向き合って暮らせることが喜び」と笑う。
友紀さんは、吉賀町に移住してから、二人目の子どもを出産した。産婦人科まで車で1時間半と遠かったが、幸い近くに親戚宅があり無事出産できた。町の教育については、少子化で学校再編の心配はあるが、中高一貫教育という魅力がある。
「長男は生き物が好きなんです。ここでは普通に暮らしているだけでたくさんの生き物に遭遇でき、出会った生き物の名前を覚えては報告してくれます。そういう時、吉賀町に移住して、子どものためにもよかったなと感じます」
そういう友紀さん自身は、スペースが小さい横浜の家ではできなかった「糸紡ぎ」を楽しんでいる。「田舎には都会にある物が無いが、無いなら自分で作ればよい」という考えだ。横浜で友人と作った語学サークル「ぺらりんず」の吉賀町支部を立ち上げ、地域の人とともに学ぶ活動も行っている。
移住をするということは、自分自身で切り拓いていかなければならないことも多い。移住地を楽園とできるかどうかは、移住者自身の生き方次第であると言っても過言ではない。
地域への恩返しに山村留学を受け入れたい
地域の人に受け入れていただいた恩返しができればと思っています。とりわけ、日本一周の旅のなかで、日本の素晴らしい原風景が荒れていくのを見ました。事実、吉賀町でも若い人が少なくなって、荒れた農地が増えています。
新規就農者を受け入れたりして、移住してくる人の相談を受けることができたら本望ですね。まずは、うちで山村留学を受け入れたいです。(長谷川慎さん)