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農園歳時記

第21回 再考「自給自足」

これを書いているのは六月初め。GW以来好天が続く。入梅は例年より早いが、いまだ梅雨を実感させる空ではない。光は多く、雨は少なめ。日中の気温二十五度。人間にも植物にも、これが最適であることを野菜たちの顔と自分の肌感覚から知る。そして作物は豊作。僕の食糧自給率は現在八十%。
「自給自足」と「晴耕雨読」――。昔も今も人々を魅了する言葉。僕自身もずっと胸の内にあった。だが晴耕雨読は案外早く挫折した。昔ほどに読書の意欲がわかない。
会社員時代は常に通勤カバンに読みかけの本が数冊あり、その時の気分で読み分けていた。それがダメになったのは長年の習慣か。家が電車みたいに揺れたら読めるか。
はるか昔、コント55号がテレビで売れる前、日劇ミュージックホールで笑えるコントを見た。欽ちゃんがコーチ、二郎さんがマラソン選手。二郎さんはフォームが悪い、必ず傾いて走る。欽ちゃんにメガホンで叩かれる。ならばと、二郎さんはツルハシを肩に担ぐ。とたんにフォームは美しく、スピードも出る。実は二郎さん、元は道路人夫だったというオチ。晴耕雨読の夢破れた僕は二郎さんだったか。

本が読めないもうひとつの理由。それは多忙である。自分ではゆるやかな暮らしでありたいと願い、一部実行している。だがやるべきことは限りない。とりわけ初夏の今は育苗があり、定植があり、トンネルの仕立てがあり、雑草との闘いがあり、施肥があり、果樹の摘果もある。孵化したばかりのヒヨコの世話と集卵がこれに加わり、注文品を発送する頃には陽が沈む。もうひと仕事と畑に戻り、風呂から上がると七時のニュースが終わりかけている。
あれは世間がGWで盛り上がっている時だった。集荷に来た馴染みのドライバーが「毎日大変ですねえ」とねぎらってくれた。それに僕は答えた。これでも良くなったんだよ。以前は自分で往復三時間の道を配達していた。昼飯なんてまともに食えない。片手ハンドル、一方の手でコンビニの握り飯を口に押し込んでいた……。ドライバーは笑った。お客さんにはいい品物を届けて、自分はコンビニの握り飯、なんだかおかしな話じゃないですか、ふっふっふ。

なるほど奇妙なことだった。でも、あれはあれで仕方なかった。脱サラ農家でなくとも誰だって始めたビジネスを早く軌道に乗せたく無理をする。片手ハンドルで握り飯。それに疑問を抱く余裕なんて四十代の僕にはなかった。将来への希望だけがあった。
ごく最近、食事を供し、夕餉(ゆうげ)を共にした客人から尋ねられた。これだけの品を作れるようになるには何年かかりますか? テーブルには蚕豆(そらまめ)、ジャガイモ、インゲン、玉ねぎ、豌豆(えんどう)、人参、大根、レタス、キャベツ。天ぷらの材料はアシタバ、ウド、ヤマイモ、タケノコ。そしてデザートはサクランボとイチゴだった。
僕はちょっと考えてから客人の問いに答えた。そうだねえ、十年では無理、十五年はかかるかな……。ほどほど野菜を作るなら三年あればよかろう。しかし、より良質、より多収をと願えばその倍はかかる。まして果物となれば苗木を植えて結実までに五年。更に剪定・摘果と試行錯誤するうちに軽く十年を経過する。
自給自足は晴耕雨読と同様、安易に使われているような気が僕はする。甘い夢の言葉に終わらせてはなるまい。僕にも研究の余地は多くある。しかし、自分の口に入る物を自分の手で作るという「理想の旗」は下ろすべきではなかろう。個人の暮らしは当然、国家においても「食」を他に依存し過ぎるのは危険で避けたいことだ。

再び僕の晴耕雨読はなぜ挫折したか―。先に多忙を一つの理由として挙げたが、それは農作業が面白いがゆえの多忙であった。今の僕には読書よりも面白いことだ。面白く楽しいから雨でも風でも働いて、脱サラ二十七年、自給率八十%に達した。
「口説の徒」という言葉がある。口ばかり達者で体力・行動力のない者のこと。自給自足とは、頭を使い、惜しまず体を動かした個人や国家が成し得ること。僕はそう考えている。

●プロフィール
中村顕治【なかむら・けんじ】昭和22年山口県生まれ。33歳で築50年の農家跡に移住。現在は千葉県八街市在住。典型的な多品種少量栽培を実践。チャボを庭に放任飼育する。ブログ「食うために生きる─脱サラ百姓日記」
http://blogs.yahoo.co.jp/tamakenjijibaba