「iju info」/移住インフォ 移住情報
農林漁業就業・ふるさと情報  Produced by NCA 全国農業会議所
農園歳時記

第24回 ゆるやかに

今号の筆を起こそうとしているのは十月中旬。この月、わずか一週間という間に、二度、台風に見舞われた。猛烈だ、巨大だと、テレビのニュースが驚かす。僕は畑で奮闘した。雨で叩かれては困るものにはビニールトンネルを設置し、豪雨で水没するかもしれないものには排水の溝を掘る。風にグラグラ揺すられそうなピーマンやナスにはありったけの棒を立ててやる。それだけならまだいい。安普請かつ老朽で、野中の一軒家に近い我が住まいは、都会のマンション暮らしでは想像もつかないケアを要する。

その台風が通り過ぎた朝、ちょっと大袈裟な言い方をすれば、卵の黄身のような色をした光が地上に降り注いだ。台風による被害が覚悟していたより軽微であったせいもあろう。が、やはり、その朝、僕を幸せな気分にしてくれたのは、黄金色のその光と、頭上の白い雲だった。元気で生きていられるのはいいことだ、百姓になってよかったぞ。畑で鍬を握る僕は、ひそかにそう思った。
いま秋が深まりつつある。夜の気温が下がるにつれ、白菜、キャベツ、ネギの生育が旺盛となる。モズが高い樹上で鳴く。だんだんに重ねられてゆく白菜の葉の枚数に、僕は、あの、死ぬほど暑かった八月以後の過ぎ去った時間を重ねる。平成二十六年の、残された月日の少なさをも知る。さてそろそろ、冬から早春にかけての作物をつくる準備に入らねばならない。百姓は、目前の収穫を素直に喜んでいい。しかし、その喜びにいつまでも浸ってばかりはいられない。次の一歩を踏み出そう。

台風で折れた果樹と、九月に抜いて枯らしておいた夏草の山を一箇所に集め、火をつける。冬物野菜のトンネル栽培、その工程の最初のステップがこれである。燃やした木々や草の灰が土壌改良の役目を果たし、栄養にもなる。
夕暮れ、燃え上がる火と向かい合いながら、僕は思い出す。先頃、新聞の書評欄で見た面白い言葉を。それは、人間にとって、「食い―眠り―働き―また食う」という最低限の循環以外は過剰な行為である、というのだ。現代人は、この循環に収まらない過剰なエネルギーを常にもて余しており、そのはけ口を探し続けている、というのだ。食い、眠り、働き、また食う。これはまさしく僕自身のことだった。
かつて、あちこちに行きたくて仕方なかった僕の旅心。今はそれがすっかり失せた。三百六十五日、スーパーとホームセンターより他に、外出することがない。都会で暮らしていた頃より、いま世間がよく見えるような気がする。昨今の世相は、僕にはちょっと激しすぎるように思われる。泣くも、笑うも、怒るも、感動するも、そして悲しむも、その度合いが強すぎるような気がする。疲れないかな、それじゃ。もう少しゆるやかな人生を生きられないかな。
百姓の暮らしはエンドレスだ。収穫する一方で種をまき、種をまきつつ草を取り、土を寄せる。そこに時々、邪魔が入る。台風しかり、大雨と長雨しかり、猛暑しかり。その邪魔者が繰り出すパンチを、左右に体を振ってうまくかわしつつ暮らす。食い―眠り―働き―また食う、そんな日々を、冬に向かって幾重にも葉を重ねてゆくあの白菜のように、重ね、重ねて、百姓は生きる。厳しそうに見えて、ハードの中にきちんと「安らぎソフト」もインストールされているのが嬉しいではないか。肉体的な苦労あったればこそ味わえる幸福感か。台風一過のあの朝、卵の黄身色をした光が地上に降り注いだ時に浮遊した、我が心のごとく。

スキマ産業という言葉がある。農林業も、ひょっとしたらスキマ産業の一種ではなかろうか。僕はたまにそう思う。激しく、慌ただしい作業の合間に、ふわり訪れる安息の時。長い時間ではない。濃いか淡いかといえば、淡いものだろう。それでいて、けっこうコクのある味。ネギの土寄せとキャベツの収穫。秋ナスの寒さよけとヤマイモの収穫。ビニールトンネル設置と果樹の剪定。そんな作業と作業のスキマにやってくる達成感、ゆるやかさ。
それをアナタやキミにも経験してほしい。お日様の下で働き、汗を流す。吹く風がその汗を乾かす。眠り、働き、また眠る。三度のメシがうまく食えて、夜は心地よく眠れる。人間の幸せは案外単純なところに根をおろしている。

●プロフィール
中村顕治【なかむら・けんじ】昭和22年山口県生まれ。33歳で築50年の農家跡に移住。現在は千葉県八街市在住。典型的な多品種少量栽培を実践。チャボを庭に放任飼育する。ブログ「食うために生きる─脱サラ百姓日記」
http://blogs.yahoo.co.jp/tamakenjijibaba