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農園歳時記

第31回 老人閑居せずして不惑を為す

去年、古希の記念に市民ロードレースを走った話を書いた。今年も走った。タイムは三分落ちて五十八分。このトシになると体力記憶力は確実に低下するなぁ。何かを跨ぐ時、上げたつもりの足がちゃんと上がっておらず引っ掛かる。さっきまで使っていた道具が見つからない…。

新しい自転車と筆者一日の始まりはランニングかサイクリング。どっちも始めて五十年。最近新しい自転車とマラソンシューズ三足を買った。気分を一新、モチベーションを高める。そのため時々エイヤッと有り金をはたく。老人に限らず避けるべきは日々の活動形態がマンネリ化することだ。骨と筋肉は精神との関わりが深い。「それが人間の心を作る」とも考える僕はあえて無理する。新しい自転車のギヤは二十七段変速。高校時代に記録した時速五十キロに今挑戦している。

「茶室」を建築去年は太陽光発電と露天風呂の設置に奮闘した。今年は「茶室」の建築である。幅三メートル、長さ四メートル。作業の難関は高さだった。単なる茶室ではない。温室ミカンの実験も兼ねる。横一列に植えてあるミカン、その一本を内部に取り込む。柱を十本打ち込み、横木を当て、それを足場に高さ四メートルの位置まで登る。三角の屋根は地上で組み立てた。不安定な足場でその大きな三角形を担ぐ。高所はあまり苦にしないが、さすがに危険を感じた。ここで重要な役を果たすは腹筋とバランス感覚、そう認識する大工仕事だった。

ビニールを張り、一部は透明プラスチック板をはめ込み、完成までに一か月余。効果は劇的。ミカンはたちまち葉を出し、蕾をつけた。成長過程は露地より四十日早かった。完成後、我が仕事を試すかの如く憎たらしい強風が吹いた。その後も数回、風速三十メートル近い風が吹き、茶室は少し傾いた。でもまあ倒れはしまい…悲観を捨てる、楽観に身を任せる。これも老人に、いや若者にだって肝要な事だろう。

畑仕事の合間、ここでお茶する。花が満開の時には頭上から甘いミカンの香りが降った。激しい雨の日は読書だ。今読んでいるのはサイ・モンゴメリー著『愛しのオクトパス』。タコは頭が良い、愛情も豊か、そういった本で、ふるさと祝島で少年時代、タコが石を積み上げ巣を作る生態を知っていた僕でも著者の細密な観察に教えられることが多く感動する内容だ。

しかし茶室で読書なんて滅多にない事。我が暮らしは日々奔走。毎日の作業項目は五十ほどある。ポットに種をまく、水やりする、定植する。堆肥を運ぶ、草を取る、土寄せする。鶏への給餌・給水、ヒヨコが生まれればその世話。築四十年のボロ家の屋根や壁も直し、下水工事もやる。顧客への発送作業がある。そばで僕を毎日見ている人は不思議がる。よく疲れないわネ、たまには昼寝しようなんて思わないの?  ふふっ、疲れないわけじゃない。骨も筋肉もガチガチ。それをほぐす方法? 昨日と同じ作業をすることさ。疲れた骨と筋肉は疲労の上塗りにコロッと騙され、よく働く。

小人閑居して不善を為す。これを老人閑居せずして不惑を為すと言い換えたい。老いも若きも人間には常に惑いがつきもの。人間には胃袋ならぬ「ココロ袋」というものがある。それを常に満杯にしたいと人は願う。何かと便利な今の時代、つい手近な、言ってみればジャンクフードで胃袋を満たすみたいにココロ袋を満杯にする懸念がある。これを阻止する方法はないか。忙しく生きることだ。ルーチンワークをちゃんとこなしてから時々は甘い人参をぶら下げる。自分を馬に見立てて鞭を入れ、人参めがけて走らせる。僕の場合は何かを作る作業が人参だ。大工仕事をしていると不思議なくらい視野が狭くなる。ここで言う「視野」とは世事とか惑いだ。すなわち視野が狭いと惑わずにすむ。

これが活字になる頃、僕は七時まで働いているだろう。畑から上がる。茶室に灯りをともす。今日一日の肉体疲労がココロ袋の中にうまく納まる。茶室の電気は昨年苦心惨憺して作った太陽光発電だ。光が電気に変じる不思議。静けさと不惑が満ちるこの空間。

完成した茶室

●プロフィール
中村顕治【なかむら・けんじ】昭和22年山口県生まれ。33歳で築50年の農家跡に移住。現在は千葉県八街市在住。典型的な多品種少量栽培を実践。チャボを庭に放任飼育する。ブログ「食うために生きる─脱サラ百姓日記」
http://blogs.yahoo.co.jp/tamakenjijibaba