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農園歳時記

第32回 たまには本音で語り合おうよ


僕の太陽光発電への熱はなお続く。快晴の日の余剰電気を無駄にしないよう蓄電器を3 つ買った。自分が畑仕事をしている間に太陽も発電仕事をせっせとやってくれている。これ、元手はかかるが楽しい知的遊戯である。


言葉で意思を伝える、表現する。感動、驚き、喜び、悲しみ、全て文字か声で伝える…他の生物にない人間の高度な能力。大袈裟な書き出しだが、今回考えてみるのは都市から田舎への移住、いわゆる田舎暮らしについて。

茨城と千葉、来春で合計四十年。最初の田舎暮らしは利根川近く。築五十年の家と二百坪の土地が一千万円。十年ローンを組み、果樹を植え、山羊や鶏を飼い、週末は野菜作り。十年ローンゆえ最低十年は暮らすつもりだったと今は考えるが六年半で心変わり。新聞広告で現在の家と畑と山林の物件を知ったのだ。よっしゃ、俺はこれで百姓になろう。

業者と売買契約を結んで市の農業委員会に出向く。面接官三人。忘れられない質問が「これまでどんなものを作ってきたか?」野菜の名前を並べ立て、鶏、山羊もいると答える。何でも経験ありが有利だろうと。でも三人の面接官からは微妙な笑い。後で納得。ちょこちょこやるのは所詮アマチュア…。昨今の農業参入者は行政や農協の指導で限られた作目に特化した営農が多い。それがまさにプロフェッショナルだ。やたら手を出すのは素人っぽい。でもなんとか僕は面接に合格、五反百姓になった。昭和五十九年春。

今年の天候はすごかった。雨より猛暑が好きな僕は早い梅雨明けを喜び、気温四十度の中、裸で作業。二時間ごと一ℓの「飲むヨーグルト」がスルリと腹に収まるほど汗をかく。だがキャベツ、白菜などの苗作りで躓く。猛暑の後は一転、日照不足。とどめが台風。ハウスはつぶれピーマンやナスが吹き飛ぶ。でもお天道様を憎んだりしない。ふだんお世話になってるんだもの。

人生、何事も幸運と不運が伴う。明るく楽しいことばかりのはずがない。なのに文字と言葉を持つ人間はついつい「礼讃」に過ぎる場面がある。ひと塗りするだけでシミが消えます…そんなCMを見るたび苦笑するが、この「甘言」は田舎暮らしについても当てはまる。

家庭菜園を始めた人がよく口にする言葉。無農薬・有機栽培だからやはり美味しいです…。手塩にかけた物への愛がそう言わせる。でも客観・公平に判断し、無農薬・有機ゆえ常に美味しいかというと違う。天候に左右される。野菜も果物も毎回合格ラインということはない。そんな事実を飛び越え、人はえてして礼讃に傾く。このジジイめ…古希を過ぎた意地悪ジイサンの嫌味と聞こえる人もいようが、田舎暮らしも農業も、家庭菜園だって奥は深い。それ相当の年月を要する。しかし人はつい安易な、どこかで耳にした出来合いの言葉に頼る。

テレビで人気を博す田舎暮らし番組のラストは決まって夫婦の散策。睦まじく語らう。ここでも意地悪ジイサンは考える。このラストシーンは都会のマンションに暮らすディレクターの、視聴者の感動を呼ぶのはこれだ!!

という自信の反映だと。そのラストの美しさに心揺さぶられ、田舎暮らしを思い立つ都会人もたぶん多いと。

田舎礼讃の例としてよく言われるのが玄関先にしばしば野菜なんかが置いてあるという話。確かにある。僕ももらい物はする。でも頻繁じゃない。昔読んだ女性作家の本に「人に物を上げるには知恵と気遣いがいる」、そんな文章があった。訳もなく物を上げると相手を恐縮させるばかり。本当に相手が欲しいと思う品をたまに差し上げるべし…そうなのだ。もらった方もタダではすむまい。お返しを気遣う。ここにも、とかく美的表現に傾く人間の心が垣間見られる。

最初に暮らした村は濃密な人間関係にあった。隣家の老人は「水戸様」をよく口にした。公団住宅からの移住で数々カルチャーショックを伴ったが、僕は懸命に村に同化しようとした。消防団に入り、頻繁に酒席にも加わった。一方、二度目の田舎暮らしである現在地は元は開拓地。そのせいか「水戸様」の地に比べると人間関係は淡泊だった。当初は役員をやり酒席にも加わったが今は全て身を引いている。

田舎の寄り合いはとかく酒になる。酔いやすいタイプの移住者は酒の酔い以上に言葉に酔ってその寄り合いを称える。外出から帰ると玄関先に〇〇があったというあの話とほぼ同じ基調での礼讃だ。でも意地悪ジイサンはここでも嫌われるのを承知で言う。酒はほどほどにしておきたまえ。酒を飲むために田舎暮らしを始めたのではあるまい。

都会の暮らしをやめて田舎に暮らす。そこにあるのは「自分を生きる、生きたい」という意思・願望、そして反骨だろうと僕は考える。この願望が叶う条件はまず体力。次に食生活。そして自然と親しむ、交わる、喜ぶという情緒力だ。これらがあれば田舎暮らしは成功する。

三十何年か前、三人の共同で『百姓になるための手引き』という本を作った。年齢も農業経験もずっと上、集団での農場を経営している人が編集作業合間の茶飲み話として言った。「残念ながらギブアップ、都会に戻るという例は少なくないんだよねえ…」。足りなかったのは体力か、情緒か。僕は君に助言しよう。大いにふんどしを締め、不退転の覚悟をしたまえ。僕自身都会でうまく生きられなかった男だが、俺が生きる場所はここしかない、その思いで気付けば四十年という歳月になった。思い立ったら吉日。がんばれ、迷うな、甘言に惑わされるな。体を鍛えておけ。きちんとメシを食え。君の移住にエールを贈る。

僕の太陽光発電への熱はなお続く。快晴の日の余剰電気を無駄にしないよう蓄電器を3つ買った。自分が畑仕事をしている間に太陽も発電仕事をせっせとやってくれている。これ、元手はかかるが楽しい知的遊戯である。

僕の太陽光発電への熱はなお続く。快晴の日の余剰電気を無駄にしないよう蓄電器を3つ買った。自分が畑仕事をしている間に太陽も発電仕事をせっせとやってくれている。これ、元手はかかるが楽しい知的遊戯である。

●プロフィール
中村顕治【なかむら・けんじ】昭和22年山口県生まれ。33歳で築50年の農家跡に移住。現在は千葉県八街市在住。典型的な多品種少量栽培を実践。チャボを庭に放任飼育する。ブログ「食うために生きる─脱サラ百姓日記」
http://blogs.yahoo.co.jp/tamakenjijibaba