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農園歳時記

第40回 時間が見えてくる

 
 この原稿を書き始めたのは10月31日。秋が深まり今年も残り2か月。喉元過ぎれば熱さを忘れるという。でもあの暑さは忘れられない。連日36度、湿度90%。10時を過ぎても寝室の温度は28度。至近距離に置いた扇風機の風でよく眠れた。炎天下での労働の疲れが深い眠りをくれたのだ。
 
 折しもテレビは節電を呼びかけていた。熱中症は室内でも起こります、老齢の方は無理せず冷房を適切に使ってください…そんな心遣いを示して。ふふっ、せっかくだわが家には初めからエアコンがない。
 

 
 今夏は暑いだけでなく雨も多かった。喜んだのは夏草。ヤブカラシ、クズ、カナムグラが束になって畑を襲った。素肌にも絡みついて痛いカナムグラ。運動会の綱引きの如く体を傾け、脚を踏ん張り引き抜く。そんな熱い夏の日々が過ぎ、快適な晩秋の風の中で今僕は思う。苦みを伴う前菜あってこそメインディッシュは味わいを増すと。
 
暦は11月。大豆の葉が黄色くなってきた。豊作である。今は枝豆として出荷し、新年にはモヤシにしてお客さんに送る。

七十歳で死にたる斎藤茂吉より年上と
なり歌がぼろぼろ  小池光

 
 読売新聞に「四季」と題する俳句や短歌を紹介するコラムがある。朝日新聞の「折々のことば」とともに毎朝の楽しみとして愛読。右の短歌には長谷川櫂氏がこう解説していた。
 

 「歌がぼろぼろ」は謙遜ではない。歌が自分の意図を超えて自由に動きはじめる。それが歌が壊れてゆくようにも見えるのだろう。1947年生まれ。歌も人も「ぼろぼろ」からがおもしろい。

 
 1947年生まれと聞いてこの短歌に親しみを感じた。同じ年齢だったから。僕はほどなく76歳。近頃思う。「時間が見えるようになったかなあ…」と。どういうことか。若い頃はただ時に身を預け、漂っていた。過去も未来も見えていなかったと思う。しかし、過ぎた時間、今という時間、これから訪れるであろう時間が連なり、一本のひも状になって我が目の前で五月のこいのぼりの如く風に揺れている。そうか、トシを取るとはこういうことか。
 
 右の短歌の表現を借りれば僕も十分に「ぼろぼろ」だ。とともに、ぼろぼろからがおもしろいという長谷川櫂氏の言葉にうなずく。五反歩の畑を手に入れ、小さな農家になったのは三十九歳の時だった。何十年かの間に大小の苦難があり、それを乗り越え、気づけば後期高齢者の保険証をもらう身だ。ならば心も体も枯れてしまったか。違う。世の中のいかなる仕事も奥は深い、農業も同じ。アマチュア時代から通算43年。畑仕事に飽きない。体もよく動く。
 

 11月4日。朝の冷え込みが増してきた。ランニングを終えて朝食をしっかりと食う。熱い珈琲で体の芯を温め、珈琲カップを手に水槽で泳ぐウナギを眺める。毎日ミミズを運ぶ僕に彼らは親しみの視線を向ける。さて庭に出よう。梅、アンズ、プラム、梨。そろそろ剪定だな・・・苗木を植えて36年。「けそけそ」な自分をあらためて想う。ふるさと祝島では落ち着きのない、思いついたらすぐ行動に移す子供を「けそけそ」すると言う。我が人生はずっとけそけそだった。
 
 最初の田舎暮らしを始めたのは四十三年前。十年ローンで買った築五十年の家と二百坪の土地。それを六年で投げ出し現在地に移り住んだ。小さいけれど新しい家。畑が五反歩。それを新聞広告で見た僕の行動は一直線だった。移り住むなり果樹の苗木をバンバン買った。後先考えずに植えまくった。まさに、けそけその自分だった。慎重さと熟慮が子供の頃から欠けていた。でも、「時間が見える」ようになった今の僕は自己弁護を含めて思うのだ。慎重であることが常に良い結果を生むとは限らない、それが人生だと。
 
 成功するか失敗するか、可能性は五分と五分。どうする君なら?  やりなさい、「けそけそ」しなさい、若い人に僕はそう伝える。毎夜寝床で読み進めている『DIE WITH ZERO』の著者は、若い時代の貯金なんてやめておけ、稼いだ金を今しかやれないことに使って情熱をぶつけろ、失敗を恐れるな、そう言っている。
 
 ほどなく七十六年の我が人生。苦難はあったが間違いじゃなかった・・・澄んだ晩秋の空を見上げ、そう思っている。

●プロフィール
中村顕治【なかむら・けんじ】昭和22年山口県生まれ。33歳で築50年の農家跡に移住。現在は千葉県八街市在住。典型的な多品種少量栽培を実践。チャボを庭に放任飼育する。ブログ「食うために生きる─脱サラ百姓日記」
http://blogs.yahoo.co.jp/tamakenjijibaba