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農園歳時記

第9回 草刈は思索のとき

近頃、筋肉をテーマとした本や雑誌の特集をよく見る。背景にはブームとしての「メタボ」があるか。メディアでメタボが語られるとき、やむにやまれぬ改善、解消、穴埋め、そういった後ろ向きの響きを僕は感じる。主題が内臓脂肪でなく筋肉となれば事情は違う。筋トレ新刊本の広告文を目にしたときはグッときた。
「いまや筋肉は、英語やIT にも優るビジネススキルだ!」僕はどうしても太れない。大食いしようが、夜食をくおうが、甘いものを1日2回も口にしようが太らない。腹も出ない。腹はなぜ出るか。内臓の総量はものすごく、重力の関係で常に落下しようとする。若い頃は強い腹筋で包み込んでいるが、歳を重ねると腹筋が衰え、押さえがきかなくなる。ゆえに腹が出る、それが生理学の説明。白髪が増え、肌にシミも増えた僕だが、腹筋に関してはいくらか若いということか。

僕の腹筋の強さはスコップ1本に始まる。サツマイモの畝立て、里芋の土寄せ、普通の草取りも、天地返しも、篠竹退治さえも、みなスコップでやる。右足でスコップを踏み込むゆえに、僕の作業靴は右だけ徹底的に傷む。その踏み込みのときも、深さ40センチから土をすくい上げるときも、支点となるのが腹。これを毎日やれば当然腹筋は強くなる。
「ええっ、中村さんちは刈り払い機がないのですかぁ」。そう驚かれたのは一度だけではない。「カリバライキ」。初めてこれを耳にしたとき、僕は「仮払い」という言葉を思い浮かべた。会社員が一時的に経理課から受け取る現金…。

気温30度を超える日のスコップ仕事は、ふだんカリバライキで草を刈っている人には過酷である。機械で草を刈る人も大汗をかくのを僕は知っているが、スコップのほうがずっと厳しいはず。ならばなぜ機械を使わぬ? 僕はあの金属音が苦手。ときどき小石を跳ね、キーンとはじける音も嫌い。日曜日、周辺住宅では草を刈るキーンの音がいっせいに響く。猫の額に近い草地だが、鎌やスコップを使う人はおらず、みな機械。だから僕の心は日曜日、ちょっぴり波立つ。

べつにツッパっているわけではない。単純に感覚の問題である。以前、僕を究極のアマチュアと呼んだ人がいる。これは僕がプロになりきれていない証拠であろう。しかし僕は、このアマチュア世界が好きである。あのキーンの世界では得られない「思索のとき」がスコップ農法にはあるように思う。スコップが土に刺さる深さほどではないけれど、思索も静けさの力を借り、いくらか深くなる。
思索の深まりを最も感じるのは、同じスコップ仕事でも、地面に膝をつき、刃先で草を削り取るときだ。サッサッサ。ザクザクザク。他の仕事よりもはるかに小さな動き。単純で小刻みな反復│思索にはこうした条件が必要であることを百姓になってから知った。倒れ、色を変え、土の上に波打つ雑草の帯。僕は刈り取った草を米ぬかとともに袋に詰めて半年寝かせ、堆肥を作るが、袋詰めの作業はまだしばらく後のことだ。

富士には月見草が、草刈作業にはモーツァルトがよく似合う―軽快で、明るくて、いくらか甘い。そのリズムが人間カリバライキの燃料の役目を果たすか。土にまみれようが、不意の雨に打たれようが、遠慮のいらない畑専用オーディオがある。そこからモーツァルトの弦や管の調べがこぼれる。僕の額からは汗がこぼれ、こぼれたもの同士がハーモニーを作り、流れ、梅雨の晴れ間に、漂う。
雨蛙も目を細めて聴く。空の青さ、白い雲の高さにも負けず、咲く、真紅のザクロ。それもどうやらモーツァルトにじっと耳を澄ませている。
百姓にはやはり体力が必要である。スコップ農法を行なうことで燃料費の節約が叶う。草刈をしつつモーツァルトを聴くことができる。それには機械に頼らずにすむ体力が必要…。ハハッ、僕の思考はやっぱりアマチュアっぽい。

●プロフィール
中村顕治【なかむら・けんじ】昭和22年山口県生まれ。33歳で築50年の農家跡に移住。現在は千葉県八街市在住。典型的な多品種少量栽培を実践。チャボを庭に放任飼育する。ブログ「食うために生きる─脱サラ百姓日記」
http://blogs.yahoo.co.jp/tamakenjijibaba