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農業を否定する人生から一転
理想の米作りを追求

滋賀県長浜市 吉田道明さん(47歳)
農業歴:17年

吉田道明さん

稲の生育状況をチェック。「農業とは作業ではなく生き方」と語る吉田さんの眼差しは熱い。

様々な経験を積んで分かる自分が本当にやるべきこと

「都会に憧れて、18歳の頃に大阪へ飛び出しました。カメラマンになるため、写真の専門学校に通って」。
『日本書紀』にも登場する霊峰・息吹山を背景に、約40ヘクタールの水田が広がる吉田農園。その中で笑う吉田さんが地元にUターンし、農業を始めたのは30歳の時だ。学校を卒業後、大阪の写真スタジオに勤めるが、結婚を機に転職を決断。より安定した暮らしを求めて、親族からの紹介を受けて飲食業界へと進んだ。
「滋賀県長浜市にある和食料理店の店長になりました。年商1億円を超えるお店でしたから、従業員もたくさんいて。調理から仕入れ、接客等、何でもやって。我武者羅に働いていました」。
食への関心を深めていく中、ある環境問題の講演会への参加をきっかけに、食の安全について思いを巡らせることに。

安全でおいしいお米を目指して“農家”を継ぐことを決心

「実家は農家でしたが、親父は忙しくて構ってくれなかった。家は貧乏だし。農業なんて…と思っていました」。
しかし、高齢となった吉田さんの父親が、農家を辞めようと考えていることを知り心境は一変。
「父が営んできた5ヘクタールの農場を失くすのはもったいないという気持ちが湧いて。たくさん収穫できるように育てられた米と、消費者が食べたいおいしい米。そのギャップを埋めれば、商売としての勝機はあるとも信じていました」。
30歳で、農家を継ぐことを決断する。
「すごく心配されました。親父は、農業を取り巻く環境が明るくないことをよく知っていたから。今ならとてもできませんが、反対を押し切って農業を始めて。最終的には親父から奪うような形でしたね」。
資金は100万円もない中、まず購入したのは水田にEM(有用微生物群)菌をまく機械だった。
「親父とは違うアプローチだったので、最初は衝突しました。それでも理想を追求するため、青年農業者クラブに所属して仲間のもとに習いに行き、有機稲作研究所の勉強会に参加したり」。
試行錯誤は農舎やトラクター、コンバイン等の新調にも及び、就農1年目の借金は2000万円を超えた。
「理想は、食べるほど健康になれるような米。その願いを込めた“長寿米”は、2006年に『全国米・食味分析鑑定コンクール』で金賞を受賞することができ、自信を持つことができました」。
農業に必死で取り組んだ10年だった。
「憧れの都会暮らしを経験したからこそ、田舎に腰を据えることができたと思います。今では3人の社員を雇うようになりました。彼らをまとめるには、店長時代の経験が活きています。最近はホームページ作りにも力を入れていますが、写真の腕が活かせたり…と、30年違う道を歩いてきましたが、それは無駄ではなかった」。
若い人の指標となれる生き方をしたい、と語る吉田さん。スタッフたちと、日々賑やかに農業に取り組んでいる。

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