静岡県南伊豆町 欠掛奈々さん(34歳)
農業歴:10か月
- 【かんかけ なな】東京生まれ、東京育ち。都会での会社員暮らしに疑問を感じて退職した後、縁があって農業の道に進む。現在はご主人の隆太さんとともに自然農園日本晴を切り盛りする日々。
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東京から車で4時間の南伊豆に思い描いた田舎があった
太平洋にせり出した伊豆半島の先端、南伊豆の山間に市之瀬集落がある。比較的温暖だが、冬には季節風が強く吹く地域で、菜花の栽培が盛んだ。
平成27年9月、集落に野菜の多品種少量生産を行う農園「日本晴」がオープンした。
「畑に腰を下ろし、山を眺めてお茶を飲むと、幸せを感じます」と笑顔を見せるのは、夫婦で農園を営む欠掛奈々さん。
「20代の頃は、新宿の高層ビルで働いていました。23~24時まで働き、終われば飲み会といった毎日でした」。
東京で生まれ育った奈々さんにとって、人工的な灰色の景色は見慣れたものだったが、「窓から見えるビルの屋上を、緑で埋めたい」と、ある時、突飛な思いが浮かんだという。その衝動は抑えがたく、ついには会社を退職して造園の世界に飛び込む。しかし、人口培養土を使い、電気を大量消費する屋上緑化の現実に、再び疑問を抱き始める。
ガーデナーとして活動していた30歳の時、飲食店の運営・コンサルタント業を手掛ける母親の勧めもあり、奈々さん自身も関わった古民家再生プロジェクトで母屋に開かれたレストランの店長となる。そこで、会社員時代から付き合いのあった元精密機器メーカー勤めの隆太さんも一緒に働くこととなった。2人は理想の食材を求めて農家と交流を深めるうち、その生き様に魅了され「農業をやろう」と決心する。
どこで研修を受け、どこに移住するか。東京が拠点の2人には帰る田舎はなかったが、選択する自由があった。
「山と海がきれいな田舎を探し、車で2か月かけて西日本を海沿いに周ったところ、徳島県庁で『若葉農園』を紹介されました」。
広大な農地で自然農法に取組む農園に感銘を受け、すぐさま研修先を決めた。
女性にこそ取り組んでほしい農業は心がキレイになる仕事
「農業にはすぐに馴染むことができました。ただ、私は体力が追い付かなくて。それまで病気もなく、体力は普通以上と自負していたのですが」。
朝5時に出勤し、休憩を挟んで19時まで農作業をこなす。夏が過ぎ、秋、冬。ある日、作業中に顔色の悪さを指摘され、病院へ行った時のこと。診断結果は、甲状腺機能低下症。思いがけない病名を告げられた奈々さんは研修を切り上げ、東京で治療に専念することとなった。
「初めての田舎暮らしと農業。環境が激変し、気付かないまま無理をしていたんだと思います。今では体力も付きましたが、女性が就農する場合、最初は体力的な負担が大きいです。しっかり休養をとり、体をケアすることが大切です」。
治療を終えた奈々さんと、研修を修了した隆太さんの農業への思いは揺らぐことなく、南伊豆への移住を選択する。今も石垣が残る里山風景に加えて、東京まで車で約4時間という距離の近さに、家と畑、合わせて月5千円という格安の賃借料も魅力だった。
ナス、トマト、ズッキーニ等、農園は夏野菜の収穫を迎える。奈々さんの明るさ、隆太さんの誠実さで地域の信頼を得て、約10aから始めた圃場は半年で約50aまで拡大。全て露地栽培の自然農法で30種以上の野菜を育ててきた。
「お客さんに色んな野菜を食べてもらいたいんです。旬の野菜の詰め合わせの通販を中心に、民宿や飲食店に卸したり。1年目は100万円の売り上げを目標にしています」。
東京からたくさんの友人が手伝いに来て、土に触れてみんな笑顔で帰っていく。
「自然の中で農作業をして、自分たちで作った野菜を食べて。大変だけど、会社員時代のような嫌なキツさはないです。農業は心がキレイになる仕事だと思うし、女性だからと敬遠せず、多くの人に知ってほしいです」。
多くの人が訪れる農園の中心には、晴れ晴れとした2人の笑顔がある。