稲垣えみ子さんの『寂しい生活』を読んだ。アフロヘアーがなぜいけないのかといった文意のものを彼女がまだ朝日の編集委員だった頃に新聞で読み、その直言ぶりに大いに興味を抱いたのだ。『寂しい生活』は会社を辞め、電気と手を切った彼女の生活記録だ。洗濯機、掃除機、電気毛布を捨て、冷蔵庫も捨てる。エスカレーターやエレベーターも電気で動くのネ。ならば、と階段を使う。それで体力がついた、息が切れなくなった、そう語る。一徹な方である。
彼女がそんな暮らしに踏み出した理由は、それ以前すでに布石はあったようだが、直接のキッカケは東日本大震災だったという。僕もあの震災では少なからぬ影響を受けた。停電で冷蔵庫はストップ、井戸はポンプゆえに水も出ない、風呂に入れない、テレビも見られない。スーパーに行くと売り場は暗かった。電気というものについて考えさせられた。
僕が太陽光発電システムを最初に設置したのは今年のGW頃である。稲垣えみ子さんは潔く電気と手を切った。しかし僕は出来ない。映画を見るため大きなテレビがある。魚が好きで冷蔵庫には常にさまざまな魚が冷凍保存してある。井戸のポンプも電気で動かさないと水が出ない。だから電気製品なしという暮らしの発想が僕にはなかった。ならば全ての電気製品を自前の電気でまかなうことは出来ないか…それが今年のGWだった。
、コントローラー、バッテリー、インバーター。太陽光で発電するには四つの機器が必要だが、最初に買ったセットは九万八千円だった。太陽の光を電気に変える。このメカニズムはもちろん、四つの部品がそれぞれどんな役目をするのかもその時点でよく分かっていなかった。学生時代から理科の成績は悪かった。四つをつなげば電気が通じるのだろうと安易に考えていた。
この日から、僕の太陽光発電への情熱と執念は、じわじわと、頭上の太陽にも劣らぬ熱さとなった。ビギナーとして買ったシステムは、ソーラーパネルが300ワット(W)、コントローラーが20アンペア(A)、バッテリーが50A、インバーターが500Wであった。しかし、このシステムは僕がめざす発電レベルに対してかなり非力であるということがまもなく分かる。
インバーターというのは、ソーラーパネルから送られてきた電気を、ふだん我々が家庭で使っている100ボルト(V)に変換してくれる機械だ。僕は考えた。500Wのインバーターは500Wの電気製品を当然動かすことが出来るだろうと。でも違っていた。インバーターには「定格」と「最大」という表示が必ずある。いかなる電気製品も、スイッチを入れた瞬間には定められた消費電力の数倍を必要とする。すなわち、500Wの器具を動かすためには1500W以上の瞬間電力がないと動いてくれない。結局、最初に買ったシステムでは室内照明程度にしか使えないことを知った。
そうか、そういうことか。GWの翌月、僕は更なる欲が出た。別なセットを買うことにした。それもやはり十万円近くした。今度のインバーターは800Wだった。以前のものよりパワーはあった。だが、次はバッテリーで行き詰まった。太陽光発電用として市販されているものは基本的に100Aクラスだ。それ一つでもなんとかなるが、蓄電の容量を上げ、長い時間使用するためには二つ連結する必要がある。すなわち12V×2で24Vというバッテリーのシステムを僕は作ろうとした。この作業過程でバッテリー端子から火花が出る、繋ぎ方を間違えたらしく、ショートして爆発音と煙が発生、腰を抜かしそうになるというアクシデントもあった。
それにしても、バッテリーというやつがこれほどデリケートなものだということを知らなかったなあ。前の号で書いたが、何十年と車に乗りながら、僕はラジエターにもバッテリーにも手を触れたことがなかった。太陽光発電に関わって初めてどういう性質のものであるかを知った。バッテリー(一つがなんと25キロ以上ある)はなんだか生き物みたい…これが現在の僕の印象である。太陽光を受けてジワジワと蓄電する。しかし、消費電力の多い器具を使うと一気に蓄電量は減る。減ったらただちに充電しなければならないが、急に曇ったり雨が降ったりするとやきもきする。あれこれ調べてみると、バッテリーは人間と同じで腹八分目がよいと書かれていた。本来の意味とは逆になるが、ためた電気をギリギリまで使ってしまうと寿命が短くなる。最悪、バッテリーは死んでしまい回復不能となる、だから残量をいつも意識しておかねばならない。残量が表示されるコントローラーを、まるで赤子を気遣う母親のごとく、畑仕事の途中で何度も僕は確認する。
太陽光で得た電気を家庭用の100Vに変換する、その機械であるインバーターにはピンからキリまであるということも僕はやがて知る。なかでも大きな学習項目は「正弦波」と「矩形波」との違いだった。正弦波は電気の流れが滑らかな波長を描く。家庭用の電気と同じ性質。矩形波はギクシャクしている。僕は水道ポンプを動かすために2000Wの矩形波インバーターを、ただ安いからという理由でもって買い足したのだが、ポンプは動く、だがパソコンやテレビは駄目だった。小さなノイズが入るのだ。それで正弦波インバーターを買い直した。そして発電を高めるためにソーラーパネルを、付随してコントローラーも次々に買い足した。このソーラーパネルについても僕はだいぶ学習した。パネルには大きく分けてふたつある。「単結晶」と「多結晶」だ。単結晶のほうが太陽光から電気への変換効率が良いとされるが、同じ単結晶でもメーカーや製品によって変換効率14%から22%というかなりの開きがある。
ああ、そして…結局、気付くと僕は、春以来の半年間で、バッテリー(11)、ソーラーパネル(15)、コントローラー(8)、インバーター(7)…この中には途中で駄目にしたものもあるけれど、更に発電を増やしたいとの欲でもって、気付くと四十万円以上を費やしていた。豊かとはお世辞にも言えない百姓暮らしにはなかなかの出費だった。畑で稼いだカネがすべて太陽光へ…。それで思った。ここにもオレの性格がよく出ているなあ。昔から、あれこれ多事に気が散るタイプではないが、何か一事に走り出すと猪突猛進、立ち止まるということを知らない悪癖がある(僕は亥年生まれ)。かつての自転車がそう、マラソンがそう、庭を埋め尽くすまで買って植えた果樹の苗木もそうだった。しかしネ、そうしたのめり込み、大金を投じた自分を悔やんではいない。きっとゴルフやサーフィンに熱中する人もそうだと思うが、暮らしに一本、精神の太い軸が生まれる、楽しくてしょうがない。これまでも野菜のためによく晴れた朝は嬉しかったが、太陽光を始めて嬉しさは三倍にもなった。晴天の朝は朝食がうまい。ウキウキする。このウキウキに加えて堅実なリターンもある。万一停電となってももう困らないぞ。大願成就だ。最終的に四系統となったソーラーシステムで冷蔵庫二つ、パソコン二台、水道ポンプ、テレビ、洗濯機、室内照明、あらゆるものが雨天の日以外は全てまかなえる。
さて、この太陽光発電から少し遅れ、僕の心がもうひとつ別なことに向かった。プロパンガスの節約である。庭の釜戸で煮炊きするということは前から少しやっていた。これを更にステップアップしようか。ヤフオクで定価の半額というポリバスを見つけた。毎日夕刻近くなると畑仕事をいったん中断し、二つの釜戸に火を入れる。同じくヤフオクで手に入れたラーメン店の寸胴鍋三十リットルに井戸から水を汲み込み、すでに伐採してある栗とか欅とかを釜戸に入るサイズに切る。燃え上がったのを確認してから再び畑に戻る。
夏には自然光で夕刊が読めた。陽の短くなった秋以降はLEDのランプを灯している。太陽光発電のコントローラーにはUSBの差し込み口があって、このランプも昼間そこから充電しておいたのだ。日暮れが遅い夏の日には頭上に月。カナカナの声が周囲に響く。秋が深くなると虫の合唱だ。夕刊を読み終えた僕は肩まで湯につかり、ヒゲを剃る、空を仰ぐ。悪くないネ。人生とは何か、人間の幸せとは何か。露天風呂の湯気と温かさがそれを垣間見せてくれるような気がする。
太陽光発電も露天風呂も手間と工夫と体力を必要とする。例えばソーラーパネルの設置は普通、既製品の架設台が売られている。僕はビニールトンネル、ビニールハウスに使う古いパイプを流用した。風呂を沸かし、煮炊きをするために二つの釜戸に使う薪はかなりの量で、伐採したものを林から運び出すのはハードだ。しかしカネを払ってジムに行くことを思えば楽しくやれる。
ガスと電気。毎月節約できる金額は合計七千円ほどだ。投資した金額が生きている間にペイされるかは疑問だ。しかし、省エネ・節約。それとは別に、注目すべきは、どうやらこれは大人の立派な遊びであるということだ。若い時代、僕はパチンコや麻雀に熱中した。いま振り返ればあの興奮はさしたることもなかったな。体にも悪かった。僕の「もうひとつの自給自足」はパチンコ・麻雀をはるかにしのぐ熱い興奮と心の健康を与えてくれている。
今から六十年前、昭和三十年代初め、我がふるさとでは電気が夜しか送られてこなかった。島という特性から文明に取り残されたのだ。ゆえに、本州から海底ケーブルが引かれ、昼間でもラジオが聴けるようになった時の感動は今も忘れがたい。それまでは日暮れにならないと電気はつかなかった。かつ、十一時には発電所からの送電が停止された。島にあったのは小さな火力発電所で、燃料を節約するためだったと思う。テレビ、冷蔵庫、洗濯機、掃除機はもちろん、扇風機さえもない時代だった。火力発電所からの送電がストップされた夜中、トイレに行く時の灯りはカンテラだった。カンテラの灯りは半分寝ぼけている子供の方向感覚を狂わせた。トイレの壁にはりついている蜘蛛がカンテラに映し出される姿は恐怖であった。思えばずいぶん「暗い時代」だった。
それから六十年、僕は、そして多くの人は、すごく明るく、便利な時代を生きている。好きな時、好きなだけ電気が使えるのを当然と考えるようになった。畑仕事を終え、僕は夕餉の食卓につく。昼間の労働の疲れを、三十年前に死んだ父が飲んでいたのと同じ一合五勺の焼酎で毎夜癒す。そして酔う。焼酎の酔いとともに惜しみなく灯る部屋の明かりにも、僕は酔う。やったぜ。太陽よ、ありがとSUN。明日もどうか晴天であってくれ…太陽光発電のパネルがある方向にむかい、酔っ払った僕は胸の内で祈りと感謝を捧げる。